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桐朋高校では[[鈴木清三]]に師事し、ドイツでは[[ヘルムート・ヴィンシャーマン]]に師事した。
 
日本でのデビューは、[[1972年]]末に行った、クラリネットの[[村井祐児]]その他のグループでの室内楽演奏会。翌[[1973年]]夏に初のリサイタルを行い、その後、ドイツ在任中も頻繁に日本でのリサイタル、室内楽、ポップ・ライヴなどを続けた。[[サイトウ・キネン・オーケストラ]]の主要メンバーでもあった(サイトウ・キネン・オーケストラでの演奏は、自己主張が強く、オケの中で目立つ吹き方をしており、ややテンポが走り気味の傾向があった。よって、合奏の中で溶け込むような印象ではなかった。オケより、ソリストとしての演奏を軸に活動していたためと思われる)
 
[[連続テレビ小説|NHK朝の連続テレビ小説]]『[[あすか (テレビドラマ)|あすか]]』のテーマ曲「風笛(かざぶえ)」の演奏や、数々の[[コマーシャルメッセージ|CM]]曲の演奏、CM出演でも知られる。[[ソニークラシカル]]他より25枚以上のアルバムをリリースしており、しかもその半分以上は純粋な[[クラシック音楽]]ではなく、[[ヒーリング・ミュージック|ヒーリングミュージック]]([[イージーリスニング]])に近いものであり、他の奏者とは一線を画している。