「企画院事件」の版間の差分

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=== 結末 ===
*被告たちの検挙・起訴は充分な法的根拠を欠いており、判任官グループのうち、芝は「京浜グループ」と企画院内研究会の双方に関与していたことから1940年実刑判決が下されたが、それ以外の人物被告には執行猶予つきの有罪判決が下された。高等官グループは検挙後約3年間拘禁されたのち保釈、敗戦後の[[1945年]]9月、佐多を除き全員に無罪判決が下された。
*また高等官グループ(元職員)として[[満鉄調査部]]員の川崎巳三郎が検挙されたことから弾圧は同調査部にも波及、[[満鉄調査部事件|満鉄事件]]を引き起こすこととなった。