「ラムゼイ・ルイス」の版間の差分

1956年にエルディー・ヤングとイザーク・ホルトとトリオを組み、[[チェス・レコード]]よりデビュー。このトリオによるライブ・アルバム『[[:en:The In Crowd (Ramsey Lewis album)|The In Crowd]]』は第8回[[グラミー賞]](1966年)で最優秀インストゥルメンタル・ジャズ・パフォーマンス賞(小グループまたは小グループにおけるソロイスト部門)を受賞した。シングル「[[ジ・イン・クラウド]]」も[[Billboard Hot 100|ビルボード・Hot 100]]で5位<ref>[http://www.billboard.com/charts/hot-100/1965-10-09 Music: Top 100 Songs | Billboard Hot 100 Chart | THE WEEK OF OCTOBER 9, 1965]</ref>、R&Bチャートで2位を記録した。
 
1966年にヤングとホルトが離れヤング・ホルト・トリオ(後の[[ヤング・ホルト・アンリミッテッド]])を結成する。替わりに、後の[[アース・ウィンド・アンド・ファイア]]のリーダー、[[モーリス・ホワイト]]がドラマーとして、クリーヴランド・イートンがベーシストとして起用されている。1970年にはホワイトに替わり[[{{仮リンク|モーリス・ジェニングス]]|en|Morris Jennings}}が加入。
 
1972年に[[コロムビア・レコード]]に移籍。この時期に、かつてのメンバー、モーリス・ホワイトをプロデューサーに迎え、''{{仮リンク|太陽の女神 (アルバム)|label=太陽の女神|en|Sun Goddess (album)}}''(1974)を発表。[[ジャズ・ファンク]]/[[ブラック・コンテンポラリー|ブラコン]]色の強いこのアルバムはグラミー賞を受賞する。
 
1992年に[[GRPレコード]]に移籍。1995年にGRPの副社長[[カール・グリフィン]]の企画のもと、[[アーバン・ナイツ]]を結成。[[グローヴァー・ワシントン・ジュニア]]や[[オマー・ハキム]]、[[ヴィクター・ベイリー]]などオール・スターを迎えたファースト・アルバムを、セルフ・タイトルで発表。1999年にルイスが[[ナラダ・レコード|ナラダ・ジャズ]]に移籍すると共に、アーバン・ナイツもナラダに移る。
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