「曾禰荒助」の版間の差分

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[[長門国]](現[[山口県]])[[萩藩]]の[[家老]]の[[宍戸氏]]の出身で、[[宍戸潤平]]の三男として生まれた。[[仮名 (通称)|通称]]を寛三郎。曾禰詳蔵高尚の養子となり、曾禰姓を名乗るようになった。
 
17歳ながら家老格の家柄のおかげで長州藩兵の[[小隊長]]として[[戊辰戦争]]初期に従軍した。[[明治維新]]後、明治元年(1868年)、明治政府に出仕を命じられ、降兵取締に任じられた。明治5年(1872年)、[[フランス第三共和政|フランス]]留学を命じられて5年後に帰国。明治12年(1879年)、[[陸軍省]]勤務。翌年から[[陸軍士官学校 (日本)|陸軍士官学校]]勤務を兼ねた。
 
明治14年(1881年)に[[太政官]][[書記官]]に転じ、明治19年(1886年)4月に内閣記録局長、明治23年(1890年)に初代衆議院書記官長に任命された。この任を2期務めた後、[[第1次松方内閣]]の[[解散]]に伴って[[衆議院選挙]]に出て、山口4区から初当選を果たした。会派は[[品川弥二郎]]が主宰した[[国民協会 (日本 1892-1899)|国民協会]]に属したが、明治26年(1893年)に駐フランス[[全権公使]]に任じられた。しかし[[日清戦争]]の後には駐ドイツ全権公使[[青木周蔵]]と共に[[三国干渉]]では列強にやり込められている。
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;外国勲章佩用允許
* [[1897年]](明治30年)
**[[5月20日]] - [[フランス第三共和政|フランス共和国]]:[[レジオンドヌール勲章]]グランドオフィシエ<ref name="arasuke"/>
**[[10月6日]] - [[スペイン帝国]]:イザベルラカトリック第一等勲章<ref name="arasuke"/>
* [[1898年]](明治31年)[[9月20日]] - [[ポルトガル王国]]:ヴィソーザ勲章グランクルース<ref name="arasuke"/>