「アメンエムニスウ」の版間の差分
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[[エジプト第20王朝|第20王朝]]時代の大司祭[[ヘリホル]]の息子とも、スメンデス1世の息子であるとも考えられるが、決定的な史料はない<ref name="ドドソン, ヒルトン 2012p.202">ドドソン, ヒルトン 2012, p.202</ref>。
王の治世について分かっている事は少ないが、同時代の[[アメン]]の大司祭[[メンケペルラー]]は自らの権限の下に恩赦を行っており、これがアメンエムニスウの在位中の出来事であったと考えられている<ref name=k218>[[Kenneth Kitchen|K.A. Kitchen]], ''The Third Intermediate Period in Egypt (c. 1100-650 BC)'', Warminster, 3rd ed. 1996. § 218.</ref>。釈放されたのはスメンデスの治世25年目に反乱を起こし、西方のオアシスに追放された首謀者たちで、[[ルーブル]]所蔵の追放者の碑文[[:en:Banishment]](ルーブル C. 256)に事の詳細が刻まれている<ref>K.A. Kitchen, 1996, §§ 213; 218</ref>。
== 脚注 ==
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