「福留功男」の版間の差分

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以後人気司会者として数多くの番組を育て上げてきたが、[[視聴率]]の低下や自身の高額[[ギャランティー|ギャラ]]がネックとなり[[2009年]]2月をもって全て[[打ち切り]]となった<ref>最末期の「ブロードキャスター」で福留とともに司会を務めていた[[久保純子]]は福留の日テレ時代の元同僚だった[[久保晴生]]の長女で、福留とも面識があった。</ref>。加えて、1991年に[[腹腔鏡]]による胆石手術を受けたことや<ref>『葬らん!』136ページ</ref>、心臓の持病の悪化(ペースメーカーが入っており、身体障害者1級認定を受けている<ref>http://www.zakzak.co.jp/people/news/20131017/peo1310170741000-n1.htm</ref>)、顔面の左側が[[ベル麻痺]]になるなど自身の体調不良が続いたこともあり、一線を退く覚悟を決め、身体の負担が少ない単発の仕事を散発的に行うスタンスへ移行していった。
 
[[2011年]][[3月3日]]、[[全日本空輸]](ANA)の国際線25周年と[[ボーイング747-400]]国際線機材の引退フライト(成田→グアム間)を記念して、サプライズゲストとして機内アナウンスに登場。機内では福留のアナウンスが流れたため、「『[[アメリカ横断ウルトラクイズ]]』の機内ペーパークイズが行われ、ブーブーゲートによる結果発表で不合格で敗者になったら、そのまま成田へ強制送還されるのでは?」とほとんどの搭乗客は不安がっていたという<ref>過去に『'''アメリカ横断ウルトラクイズ'''』で成田→グアム間で機内ペーパークイズを全日空機で実施した縁で登場。実際はグアムのパーティーの司会を行い、じゃんけん大会をして、勝利者にはANA国際線のチケットがプレゼントされるものだった。</ref>。実際に福留は、25年前のグアム線初便フライトに搭乗していた<ref>月刊エアライン 2011年5月号 P86-P87</ref>。
 
[[2011年]][[12月]]、[[ニコニコ生放送]]への初出演を果たし、[[東日本大震災]]の震災孤児の実状に迫る番組を放送した。同じく12月19日の『'''[[人生が変わる1分間の深イイ話]]'''』では、歴代『'''[[ズームイン!!]]'''』(『'''ズームイン!!朝!'''』『'''[[ズームイン!!SUPER]]'''』『'''[[ZIP!]]'''』)司会者である徳光・福澤・羽鳥・[[桝太一]]と共演した(5人が共演するのはこれが初めて)。