「ドム・ラ・ネナ」の版間の差分

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|Born= {{生年月日と年齢|1989||}}<br />[[ポルト・アレグレ]]
|Died=
|Origin= {{BRA1968BRA}}
|Instrument= {{columns|width=auto
|col1 = [[ヴォーカル]]<br />[[ピアノ]]
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|Notable_instruments=
}}
'''ドミニケ・ピント'''('''Dominique(Dominique Pinto''', [[1989年]] - )<ref group="注">公式サイト内に明確な生年月日の記述はないが、2014年の誕生日を迎える直前の記事で、25歳の誕生日を目前に控え、という感じの描写があったり、2013年1月発売のデビューアルバム関連の記述でも、23歳にして既にインターナショナルに活躍する存在、というような記述があるので、1989年生まれ、なのだろうと思われる。</ref>
は、'''ドム・ラ・ネナ'''('''Dom(Dom La Nena''')Nena)の[[芸名|ステージ名]]でも知られる[[ブラジル]]出身の[[シンガーソングライター]]、[[チェリスト]]、[[音楽プロデューサー]]<ref name="DomLaNena_BIO" /><ref name="AltLatino_20130221" /><ref name="WES_20130224" />。
 
'''ドミニケ・ピント'''('''Dominique Pinto''', [[1989年]] - )<ref group="注">公式サイト内に明確な生年月日の記述はないが、2014年の誕生日を迎える直前の記事で、25歳の誕生日を目前に控え、という感じの描写があったり、2013年1月発売のデビューアルバム関連の記述でも、23歳にして既にインターナショナルに活躍する存在、というような記述があるので、1989年生まれ、なのだろうと思われる。</ref>
は、'''ドム・ラ・ネナ'''('''Dom La Nena''')の[[芸名|ステージ名]]でも知られる[[ブラジル]]出身の[[シンガーソングライター]]、[[チェリスト]]、[[音楽プロデューサー]]<ref name="DomLaNena_BIO" /><ref name="AltLatino_20130221" /><ref name="WES_20130224" />。
ソロのミュージシャンとしての活動音楽ジャンルは、ブラジル、[[パリ]]、[[アルゼンチン]]等の音楽要素、そして[[重奏|室内楽]]や南米[[民族音楽]]の要素をも含んだ[[ワールドミュージック]]系<ref name="AltLatino_20130221" /><ref name="WES_20130224" />。
 
歌は、母国語である[[ポルトガル語]]の他、[[スペイン語]]、[[英語]]、[[フランス語]]の歌詞の楽曲も創り歌っている<ref name="DomLaNena_BIO" /><ref name="AltLatino_20130221" /><ref name="WES_20130224" />。
 
 
== 来歴 ==
ブラジルの[[港町]][[ポルト・アレグレ]]にドミニケ・ピントとして生まれる<ref name="DomLaNena_BIO" />。生まれ故郷のブラジルと、父が博士号を取得する為の都合で引越したパリで生活する幼少期を過ごした<ref name="DomLaNena_BIO" />。
生まれ故郷のブラジルと、父が博士号を取得する為の都合で引越したパリで生活する幼少期を過ごした<ref name="DomLaNena_BIO" />。
 
4歳からピアノを習い始め、6歳頃からは[[チェロ]]に惹かれだし、10歳の時、自分はチェリストになりたいと強く自覚する。だが、その1年後、家族はブラジルに帰国<ref name="WES_20130224" />。ドミニケは
ブラジルでチェロを本格的に学べる学校を探したが見付からず、意を決して、13歳の時、チェロの勉強をする為に、家族と離れ単身アルゼンチンへ移住<ref name="WES_20130224" />。当時アルゼンチンの[[ブエノスアイレス]]に住んでいた、チェロの女神と呼ばれるほど世界的に高名な米国人チェリストChristine Walevska(クリスティン・ワレヴスカ)<ref name="ChristineWalevska" />に師事し、
10歳の時、自分はチェリストになりたいと強く自覚する。
チェロの腕を磨く<ref name="DomLaNena_BIO" />。このアルゼンチンでのチェロ修業時代に、年上の門下生達から、「La Nena」(ラ・ネナ/少女)というあだ名を付けられたのが、その後も付いて回り、
だが、その1年後、家族はブラジルに帰国<ref name="WES_20130224" />。
彼女のステージ名「ドム・ラ・ネナ」へと繋がることになる<ref name="DomLaNena_BIO" />。因みに「La Nena」(ラ・ネナ)は、スペイン語「La Niña」(ラ・ニーニャ/the girl/少女)の南米地域でのスペイン語方言である<ref name="WES_20130224" />。
ドミニケは、
ブラジルでチェロを本格的に学べる学校を探したが見付からず、
意を決して、13歳の時、チェロの勉強をする為に、家族と離れ単身アルゼンチンへ移住<ref name="WES_20130224" />。
当時アルゼンチンの[[ブエノスアイレス]]に住んでいた、
チェロの女神と呼ばれるほど世界的に高名な米国人チェリストChristine Walevska(クリスティン・ワレヴスカ)<ref name="ChristineWalevska" />に師事し、
チェロの腕を磨く<ref name="DomLaNena_BIO" />。
このアルゼンチンでのチェロ修業時代に、年上の門下生達から、
「La Nena」(ラ・ネナ/少女)というあだ名を付けられたのが、その後も付いて回り、
彼女のステージ名「ドム・ラ・ネナ」へと繋がることになる<ref name="DomLaNena_BIO" />。
因みに「La Nena」(ラ・ネナ)は、
スペイン語「La Niña」(ラ・ニーニャ/the girl/少女)の南米地域でのスペイン語方言である<ref name="WES_20130224" />。
 
ドム・ラ・ネナは、親元を離れ単身でブエノスアイレスでのチェロ修業をした当時のことを振り返り、「13歳という若さで、家族と過ごす大切な時間や色々なことを犠牲にして、アルゼンチンへ乗り込んで行ったけれど、後悔は全くしてないです。それくらい自分は、チェロに恋焦がれていたんです」と語っている<ref name="WES_20130224" />。
ドム・ラ・ネナは、
親元を離れ単身でブエノスアイレスでのチェロ修業をした当時のことを振り返り、
「13歳という若さで、家族と過ごす大切な時間や色々なことを犠牲にして、
アルゼンチンへ乗り込んで行ったけれど、後悔は全くしてないです。
それくらい自分は、チェロに恋焦がれていたんです。」
と語っている<ref name="WES_20130224" />。
 
初期の音楽活動では、再びパリに移り住み、本名のドミニケ・ピントの名で、女優で歌手の[[ジェーン・バーキン]]のコンサートツアーでチェロを担当<ref name="JaneBirkin2009" /><ref name="NYTimes20130113" />するなど、チェリストとしての音楽活動を積み重ねた。ジェーン・バーキン以外にも、[[カミーユ (歌手)|カミーユ]]、[[エティエンヌ・ダオー]]ら[[フランス人]]歌手や、[[イギリス]]、[[スイス]]、[[ラトビア]]等欧州圏各地のバンドやミュージシャンらの公演にチェリストとして参加している<ref name="DomLaNena_FB" />。
初期の音楽活動では、再びパリに移り住み、
本名のドミニケ・ピントの名で、
女優で歌手の[[ジェーン・バーキン]]のコンサートツアーでチェロを担当<ref name="JaneBirkin2009" /><ref name="NYTimes20130113" />するなど、
チェリストとしての音楽活動を積み重ねた。
ジェーン・バーキン以外にも、
[[カミーユ (歌手)|カミーユ]]、[[エティエンヌ・ダオー]]ら[[フランス人]]歌手や、
[[イギリス]]、[[スイス]]、[[ラトビア]]等欧州圏各地のバンドやミュージシャンらの公演にチェリストとして参加している<ref name="DomLaNena_FB" />。
 
2013年1月、歌手「ドム・ラ・ネナ」としてのデビューアルバム''ELA'' を発表。同年2月下旬、[[ナショナル・パブリック・レイディオ|NPR]]の[[音楽番組]][[Alt.Latino]]と[[:en:Weekend Edition|ウィークエンド・エディション]]は、それぞれ別々の観点からドム・ラ・ネナの楽曲の魅力や彼女の経歴等を紹介した<ref name="AltLatino_20130221" /><ref name="WES_20130224" />。Alt.Latinoでは、2015年2月上旬にも、同年3月発売のアルバム''SOYO'' からの楽曲を紹介し、''ELA'' は様々なサウンド要素が詰め込まれた興味深く美しい楽曲アルバムだったのに対して、''SOYO'' はソレとは正反対に色々なサウンド要素を詰め込まず削ぎ落として彼女のヴォーカルや歌詞が強調される楽曲中心のアルバムになっているが、''ELA'' を聴き大ファンになった時と同様に''SOYO'' の楽曲も大好きになった、と評し、かつ、彼女がアーティストとして成熟していく過程で大きく前進しているのを感じられるアルバムだ、と評した<ref name="AltLatino_20150205" />。
2013年1月、歌手「ドム・ラ・ネナ」としてのデビューアルバム''ELA'' を発表。
同年2月下旬、[[ナショナル・パブリック・レイディオ|NPR]]の[[音楽番組]][[Alt.Latino]]と[[:en:Weekend Edition|ウィークエンド・エディション]]は、
それぞれ別々の観点からドム・ラ・ネナの楽曲の魅力や彼女の経歴等を紹介した<ref name="AltLatino_20130221" /><ref name="WES_20130224" />。
Alt.Latinoでは、2015年2月上旬にも、同年3月発売のアルバム''SOYO'' からの楽曲を紹介し、
''ELA'' は様々なサウンド要素が詰め込まれた興味深く美しい楽曲アルバムだったのに対して、
''SOYO'' はソレとは正反対に色々なサウンド要素を詰め込まず削ぎ落として彼女のヴォーカルや歌詞が強調される楽曲中心のアルバムになっているが、
''ELA'' を聴き大ファンになった時と同様に''SOYO'' の楽曲も大好きになった、
と評し、かつ、
彼女がアーティストとして成熟していく過程で大きく前進しているのを感じられるアルバムだ、と評した<ref name="AltLatino_20150205" />。
 
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{{DEFAULTSORT:ひん とみにけむらねな}}
[[Category:1989年生]]
[[Category:ポルト・アレグレ出身の人物]]
[[Category:ブラジルのシンガーソングライター]]
[[Category:フランスのシンガーソングライター]]
142 ⟶ 111行目:
[[Category:ブラジルの音楽プロデューサー]]
[[Category:フランスの音楽プロデューサー]]
[[Category:ポルト・アレグレ出身の人物]]
[[Category:1989年生]]
[[Category:存命人物]]