「フェデリコ・ファジン」の版間の差分

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[[ヴィチェンツァ]]生まれ。[[パドヴァ大学]]で[[物理学]]の博士号を取得。19歳で技術系の高校を卒業すると、[[オリベッティ]]に就職し、小型コンピュータの設計開発に携わった。その後大学を出ると、SGSフェアチャイルドに就職し、SGSとしては初のMOSプロセス技術を開発し、最初の集積回路を設計した。1968年、アメリカの[[パロアルト (カリフォルニア州)|パロアルト]]に移住し、[[フェアチャイルドセミコンダクター]]に就職。そこでも MOS 関連の技術を開発し、今日の[[CMOS]]チップの基礎を築いた。フェアチャイルドでは Silicon Gate Technology を使った世界初の商用集積回路(Fairchild 3708)を生み出した。
 
1970年、彼は[[インテル]]に移り、[[テッド・ホフ]]、[[スタンレー・メイザー]]、(顧客企業[[ビジコン]]から来ていた)[[嶋正利]]らと共に、[[電卓]]用の新アーキテクチャを生み出した。ファジンはそのプロジェクトリーダーとなり、数ヶ月に渡って検討が繰り返された。ファジンは独力で従来にはなかったランダム論理チップ設計の方法論を生み出し、それが[[マイクロプロセッサ]]の基礎となった。彼は [[Intel 4004|4004]] (MCS-4) の論理回路の設計だけでなくチップ内のレイアウトも行った。4004 を検査するためのテスターも作り、4004 が電卓以外の用途でも使えることを証明した(ホフや Mazor メイザーは 4004 は電卓以外には使えないと考えていた)。この製品の製造は予定通り行われた。この開発にあたって、ファジンを補佐したのが[[嶋正利]]であった。嶋は、開発の進捗をチェックするために[[日本]]から数名の技術者と共に来ていた。ファジンはまた、[[ロバート・ノイス]]にこのチップの独占使用権条項を無くすよう進言し、それによって [[Intel 4004|4004]] は[[ビジコン]]以外にも販売できるようになった。
 
ファジンが生み出した設計方法論は、インテルの初期のマイクロプロセッサに適用された。[[Intel 8008|8008]] の開発は、1970年3月に Hal Feeney に割り当てられていたが、4004 が完成するまで開発が中断された。1971年1月、8008 の開発が再開され、Feeney はファジンの指導の下で詳細設計を行った。[[Intel 8080|8080]] と [[Intel 4040|4040]] のアーキテクチャ設計はファジンによるもので、ファジンはこれらの開発責任者であった。1974年末、ファジンはインテルを退職し、Ralph Ungermann と共に[[ザイログ]]を創立。[[MOSFET|MOS]]研究開発部門の責任者となった。同部門には約80名の技術者がいて、十数の製品が同時に開発されていた。