「イェジ・ドミニク・ルボミルスキ」の版間の差分
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Locust-of-abaddon (会話 | 投稿記録) Jerzy Dominik Lubomirski18:56, 21 January 2018及び文献参考 |
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2020年4月28日 (火) 17:16時点における版
イェジ・ドミニク・ルボミルスキ(Jerzy Dominik Lubomirski, 1654年頃 クラクフ - 1727年7月27日 ヤノヴィエツ (ルブリン県))は、ポーランド・リトアニア共和国の貴族、公爵(帝国諸侯)。
ヘトマンのイェジ・セバスティアン・ルボミルスキと後妻バルバラ・タルウォの息子。ポロンネ、ヤノヴィエツ及びリュボームリの領主。1695年より王冠領配膳官(Podstoli koronny)、1702年より宮廷侍従(Podkomorzy)、1726年よりクラクフ県知事を務めた。オルシュティン、カジミェジュ・ドルヌィ及びリプノの代官職を帯びた。
1695年異母兄ヒェロニム・アウグスティン・ルボミルスキの妻の妹にあたるカタリーナ・フォン・アルテンボックムと結婚するが、彼女は1700年よりアウグスト強王の妾となったため、間に子は無く、1710年教皇の命令で婚姻は解消された。
1712年マグダレーナ・タルウォ(1690年 - 1730年)と再婚し、間に2人の息子をもうけた。
- フランチシェク・フェルディナント・ルボミルスキ(1712年頃 - 1774年)
- アントニ・ベネディクト・ルボミルスキ(1718年頃 - 1761年)