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=== 英仏ソ外相会談 ===
ソ連はイギリスとフランスの求めに応じ、[[ヴャチェスラフ・モロトフ]][[ロシアの外相|外相]]をパリへ派遣することが決定した。これを受けてイギリス・フランス・ソ連の3か国による外相会談が6月27日からパリで開催された。会談前日にパリに到着したモロトフは、イギリスフランスがソ連のあずかり知らぬところでいかなる合意に到達しているのかとビドーに尋ねた。モロトフは会談初日にも、ハーヴァード演説以上の内容をイギリスとフランスが入手しているのではないかと質問した。ベヴィンとビドーはモロトフが知っている以上のことは何もないとして、疑念の払拭に努めた。
 
だがモロトフの疑惑は必ずしも故なきものではなかった。アメリカは外相会談直前にクレイトンをロンドンへ派遣し、アトリーとベヴィンを始めとする与党[[労働党 (イギリス)|労働党]]首脳と[[事前協議]]を行っていた。クレイトンは、対イギリス援助はヨーロッパの共同計画の中で扱われること、対ソ援助はソ連が大幅な政策転換をしない限り行われないであろうことを言明していた<ref>[http://digicoll.library.wisc.edu/cgi-bin/FRUS/FRUS-idx?type=goto&id=FRUS.FRUS1947v03&isize=M&page=268 Memorandum of the Conversation, by the First Secretary of Embassy in the United Kingdom (Peterson), ''FRUS 1947, Vol. III''], pp. 268-284. </ref>。
 
続いてモロトフは、アメリカが用意している援助額は正確にはいくらなのか、この援助をアメリカ議会が可決するか否かについて問うた。これに対しベヴィンは、「借り手である我々が、アメリカに対して条件を付すことは出来ない」「[[民主主義]]社会では、行政府は立法府に関与することは出来ない」と切り返した。
 
*共同計画は、一国単位での経済政策を進めるソ連の方針と相容れなかった。加えてソ連は極度の[[計画経済|統制経済]]を奉じており、諸外国との貿易は国家が独占的に行うと共に、金や外貨の準備高を始めとする重要な[[統計]]資料を秘匿していた。全ヨーロッパが共同で計画を策定するためにはこうした情報の開示が不可欠であるが、これを公開すればソ連経済の厳しい内情が露見するおそれがあった。
*ソ連は緩衝地帯をでき出来るだけモスクワから離れたところに置くために、東ヨーロッパを勢力圏として抱える必要があった。また経済再建を順調に進める為には東ヨーロッパ諸国(とりわけチェコスロヴァキアやポーランド)の存在は重要であった。援助計画に東ヨーロッパが参加すれば、ソ連と東ヨーロッパとの紐帯は弱まり、また西部ドイツからの賠償も停止するおそれがあった。
*ソ連は、援助計画がヨーロッパに対するアメリカの影響力強化を招くことを懸念した。これまでアメリカは[[モンロー主義|モンロー・ドクトリン]]に基づき、ヨーロッパ情勢には積極的に関与しなかったが、今回の援助が実施されれば、ヨーロッパに対して大きな恩を売ることになり、ヨーロッパ進出に向けた橋頭堡を築くことができる。それはソ連の経済や安全保障に悪影響を及ぼすと考えられた。