「アマラスンタ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
→‎子女・子孫: 内容修正
タグ: 差し戻し済み モバイル編集 モバイルウェブ編集
43行目:
アマル家の血筋を引くとされるエウタリック(480年頃 - 522年/523年)との間に1男1女を儲けた。
* [[アタラリック]]([[516年]] - 534年) - 長男。東ゴート王国第2代国王。妻子なく、18歳で病死。
* [[マタスンタ]]([[517年]]/[[518年]] - 551年以降?) - 長女。[[536年]]に即位した東ゴート王国第5代国王[[ウィティギス]]の王妃となる。ウィティギスは国内で支持基盤を固めなくてはならず、アマル家とのつながりを持ってより王位を確かなものにしよう、との思惑から妻と別れてマタスンタと強引に結婚した為、18歳のマタスンタはこの望まない結婚に反発を覚え、加えてこの結婚のためにすげなく離婚されたウィティギスの妻にも同情し、怒りを内に秘めていたと言われている。[[539年]]、ウィティギスはベリサリウスから和平を持ちかけられるが、この矢先にラヴェンナの穀物倉庫が全焼、人々は王妃マタスンタの手引きではないか、と疑い内部の結束が揺らいたという。結局、ウィティギスとマタスンタは東ローマ軍の捕虜となり、コンスタンティノポリスに送られ、マタスンタは[[ユスティニアヌス1世]]の従(もしくは甥)ゲルマヌス・ユスティヌス(? - [[550年]])と再婚し、息子・ゲルマヌス(550年 - [[605年]])を儲けた。故にゲルマヌスはアマラスンタとエウタリックの孫でテオドリックの曾孫、アタラリックの甥にあたる。ゲルマヌスは後に東ローマ軍司令官となり、東ローマ皇帝[[レオンティベリウス2世]]帝の次カリトアという女性と結婚。娘したと考えられ、長女はティベリウス2世の後を継いだ[[マウリキウス]]帝の長男テオドシウスと結婚した(テオドシウスの母はカリトの姉コンスタンティナであり、ゲルマヌスの娘とテオドシウスはいとこにあたり、所謂いとこ婚である。子供は確認できない)。一説にゲルマヌスとカリトレオンティアの間にはもう一人の娘があり、その娘は[[ヘラクレイオス王朝]]の開祖[[ヘラクレイオス1世]]の[[側室]]となって、息子ヨハンネス・アタラリックを儲けたという。更なる仮説として、ヨハンネス・アタラリックにはアナスタシアという娘がおり、このアナスタシアはヘラクレイオス1世の曾孫[[コンスタンティノス4世]]の皇妃と同一人物だと考える研究者もいる。アナスタシアの子女に[[ユスティニアノス2世]]とヘラクレイオスの2男がいる。ユスティニアノス2世は二度結婚し、最初の妻エウドキアとの娘にアナスタシア、二人目の妻テオドラとの息子にティベリオスがいる。アナスタシアはブルガリア王テルヴェルと結婚。後のブルガリア王テレリグを儲けた。テルヴェルの息子としてセヴァルというブルガリア王も記録に残されているが、アナスタシア所生かは不明。テレリグの子にカルダムがいるとされ、このカルダムの息子が東ローマ皇帝[[ニケフォロス1世]]を戦死させ、ブルガリアの領土を拡大した[[クルム]]で、クルムの子が東ローマ帝国と講和を結び、ブルガリアの統治体制を整備した[[オムルタグ]]である。このオムルタグの後裔にブルガリアを[[ヨーロッパ]]有数の大国に発展する礎を築いた[[ボリス1世]]がおり、その三男で後継者が一時的ではあるが、東ローマ帝国に対して優位に立ったブルガリア皇帝[[シメオン1世]]がいる(ボリス1世の長男はヴラディーミル、次男はガウリル、四男はJacov、長女はEvpraksiya、次女はアンナ)。シメオン1世の子にミハイルとペタル1世やイヴァン、ベンジャミンの4子。ペタル1世の子にボリス2世とロマン1世がいる。ボリス2世には名前不詳の娘が二人いる。ロマン1世の子女は不明。更にブルガリア皇帝[[サムイル(ブルガリア皇帝)|サムイル]]の兄弟アロンの子イヴァン・ヴラディスラフの妻マリアはボリス2世の娘である可能性がある。イヴァン・ヴラディスラフの末裔に[[ロマノス4世ディオゲネス]]の最初の妻アンナ、アンナの子で[[アレクシオス1世コムネノス]]の姉妹と結婚したコンスタンティノス・ディオゲネスやアレクシオス1世コムネノスの皇妃エイレーネー・ドゥーカイナがいる。エイレーネー・ドゥーカイナの子孫に[[コムネノス王朝]]や[[アンゲロス王朝]]の皇帝一族、[[ニカイア帝国]]のラスカリス王朝([[コンスタンティノス・ラスカリス]]を除く)の皇帝一族、[[トレビゾンド帝国]]や[[パレオロゴス王朝]]の皇帝が名を連ねている。東ローマ帝国最後の皇帝[[コンスタンディノス11世パレオロゴス]]の弟[[ソマス・パレオロゴス]]の娘[[ソフィヤ・パレオローグ|ゾイ・パレオロギナ]](ゾイ)はモスクワ大公[[イヴァン3世]]と結婚。ゾイの孫に雷帝と評される[[イヴァン4世]]がいる。ゾイの血統は少なくとも[[1610年]]まで存続している。
 
== 参考文献 ==