「中村橋派出所警官殺害事件」の版間の差分

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[[東京地方検察庁]]は1989年6月10日付で被疑者Sの容疑を強盗殺人・公務執行妨害・[[銃砲刀剣類所持等取締法]](銃刀法)違反に切り替え<ref name="読売新聞1989-06-11">『読売新聞』1989年6月11日東京朝刊第一社会面31頁「2警官刺殺の『S』10日間拘置」(読売新聞東京本社)</ref>、1989年6月29日に被疑者Sを強盗殺人・公務執行妨害・銃刀法違反の罪で[[東京地方裁判所]]へ[[起訴]]し<ref>『[[朝日新聞]]』1989年6月30日朝刊第二社会面30頁「東京・練馬の2警官殺しで男を起訴」([[朝日新聞社]])</ref>、同年10月18日に東京地裁刑事第2部([[中山善房]][[裁判長]])で[[被告人]]Sの初[[公判]]が開かれた<ref>『朝日新聞』1989年10月19日朝刊第一社会面31頁「2警官刺殺事件の被告、殺意を否定 東京地裁で初公判」(朝日新聞社)</ref>。初公判で行われた罪状認否にて被告人Sは被害者への殺意を否認したほか、[[弁護人]]も「傷害の故意はあるが殺意はない」として傷害致死罪の成立を主張した上で、動機について「理解困難。ごく普通の青年がこのような犯行に及んだ経緯を解明するには生育の経緯・心理構造の解明が必要だ」と述べた<ref>『毎日新聞』1989年10月19日東京朝刊第一社会面31頁「S被告が殺意を否認--練馬の2警官殺し初公判の罪状認否で」(毎日新聞東京本社)</ref>。一方で東京地検の検察官は1991年(平成3年)2月15日に開かれた論告求刑公判で被告人Sに[[日本における死刑|死刑]]を[[求刑]]した<ref>『読売新聞』1991年2月16日東京朝刊第一社会面31頁「東京・練馬の2警官殺害事件 検察側が元自衛官に死刑を求刑」(読売新聞東京本社)</ref>。
 
1991年5月27日に判決公判が開かれ、東京地裁刑事第2部(中山善房裁判長)は東京地検の求刑通り被告人Sに死刑判決を言い渡した{{Sfn|東京地裁|1991|loc=主文}}<ref>『読売新聞』1991年5月28日東京朝刊第一社会面31頁「東京・練馬の派出所2警官刺殺 元自衛官に死刑判決/東京地裁」(読売新聞東京本社)</ref>。判決理由で同地裁は弁護人の「被告人Sは被害者2人への殺意を有しておらず傷害致死罪に該当する。また[[統合失調症|精神分裂病]]の遺伝的素因を有している疑いがあり、犯行当時は偽躁うつ病型分裂病による心神喪失ないし心神耗弱状態だった」とする主張を退け「被害者の受けた傷はいずれも身体枢要部に達するもので、『拳銃を奪う』という動機に照らせば捜査段階における『殺意を有した上で計画的にやった』という供述は十分信用できる。犯行後に周到な罪証隠滅工作を行っていることなどを考慮すればぜひ是非弁識能力・行動統御能力の面に異常は認められず、刑事[[責任能力]]に問題はない」と[[事実認定]]したほか{{Sfn|東京地裁|1991|loc=弁護人の主張に対する判断}}、[[量刑]]についても「社会の秩序維持のために勤務中の警察官2人の生命が奪われた、法治国家における秩序に対する反逆・挑戦ともいうべき事件だ。被告人Sは自衛隊で国の安全を守るための必要な教育訓練を受けた経歴を有するにも拘らず、除隊後わずか2か月で『拳銃を奪い強盗を行う』ために凶悪・身勝手な犯行に及んでおり、酌量の余地はない。社会に与えた衝撃の大きさや被害者の無念・遺族の峻烈な処罰感情などを考慮すれば極刑をもって臨むほかない」と結論付けた{{Sfn|東京地裁|1991|loc=量刑の理由}}。
 
被告人S側は判決を不服として[[東京高等裁判所]]へ即日[[控訴]]し<ref>『毎日新聞』1991年5月28日東京朝刊第二社会面22頁「警視庁練馬署派出所の2警官を刺殺 元自衛官に死刑--東京地裁判決」(毎日新聞東京本社)</ref>、控訴審では「被告人Sは犯行当時は[[精神障害]]で[[責任能力]]を失った(心神喪失の)状態だった」と主張したが<ref>『[[毎日新聞]]』1994年2月24日東京夕刊第一社会面11頁「一審判決を支持 控訴審も死刑--練馬の2警官刺殺」([[毎日新聞東京本社]])</ref>、東京高裁第10刑事部([[小林充]]裁判長){{Sfn|東京高裁|1994}}は1994年(平成6年)2月24日に開かれた控訴審判決公判で第一審・死刑判決を支持して被告人Sの控訴を棄却する判決を言い渡した<ref name="読売新聞1994-02-24">『読売新聞』1994年2月24日東京夕刊第二社会面18頁「練馬の2警官刺殺事件 『非情な犯行』と元自衛官に二審も死刑/東京高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。同高裁は判決理由で「被告人Sは恵まれない環境で育ったために人格の偏向があることはうかがえるが、精神障害は認められない」と認定し<ref>『毎日新聞』1994年2月24日東京夕刊第一社会面11頁「一審判決を支持 控訴審も死刑--練馬の2警官刺殺」(毎日新聞東京本社)</ref>、量刑理由についても「拳銃を奪う目的のために警察官を犠牲にすることもいとわず、他人の生命に対する一片の配慮もうかがえない非情な犯行に及んだ。被害者遺族の被害感情も考慮すれば、死刑制度が存置されているわが国の法制下では極刑もやむを得ない」と結論付けた<ref name="読売新聞1994-02-24"/>。
 
弁護人は[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]へ[[上告]]し、上告審でも「被告人Sの犯行当時の責任能力には疑問があり、再度の[[精神鑑定]]が必要だ」と主張したが、最高裁第一[[小法廷]]([[井嶋一友]]裁判長)は1998年(平成10年)9月17日に開かれた上告審判決公判で一・二審の死刑判決を支持して被告人S・弁護人の上告を[[棄却]]する判決を言い渡したため、死刑が確定した<ref>『読売新聞』1998年9月18日東京朝刊第一社会面35頁「元自衛官の2警官刺殺に死刑確定 S被告の上告棄却/最高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。<!--{{要出典|死刑囚Sは[[2003年]](平成15年)に「犯行時は心神耗弱であり精神状態の再鑑定が必要である」などと主張して[[再審]]請求している。|date=2020-04-02}}-->