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次いで『[[信濃日報]]』主筆、『[[中央新聞]]』経済部長、『[[東京毎日新聞]]』主筆、次いで『[[報知新聞]]』に引き抜かれて[[北京]]に留まること5年、記者として北清事変([[義和団の乱]])に従軍し、中支那の外交機密を紙面で暴露して世間を驚かせた。次いで特派員として[[ポーツマス会議]]を取材。報知新聞主筆を経て一時『[[東京朝日新聞]]』に在籍したが、最終的に『[[萬朝報]]』の主筆として論陣を張り、「政界ゴシップの天才」といわれるようになる。1924年5月に衆議院議員([[憲政会]])に選出される。
 
社会活動では、[[幸徳秋水]]らと「[[普通選挙期成同盟会]]」に参加。[[足尾銅山鉱毒事件]]における[[田中正造]]の直訴にも参画するなどし、他支那事情に通じて[[愛新覚羅善耆|粛親王]]を推重して『粛親王傳』を刊行した。[[第一次護憲運動]]においては[[中村太八郎]]らとともに普通選挙同盟会を組織している<ref>{{Cite web|title=普通選挙期成同盟会(ふつうせんきょきせいどうめいかい)とは|url=https://kotobank.jp/word/%E6%99%AE%E9%80%9A%E9%81%B8%E6%8C%99%E6%9C%9F%E6%88%90%E5%90%8C%E7%9B%9F%E4%BC%9A-865894|website=コトバンク|accessdate=2020-05-02|language=ja|publisher=}}</ref>。その他、[[沼間守一]]を始めとする幕末明治期の人物の評伝もかなり多い。
 
== 関連項目 ==
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== 参考文献 ==
* [[黒龍会]]編『東亜先覚志士記伝』(黒龍会出版部、1933年-1936年)
 
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==