「大相撲」の版間の差分
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[[明治]]に入って以降も、大名家が[[藩閥政治]]の有力者となった以外、こうした状況は変わらなかった。そのため力士による待遇改善要求は度々おこり、[[昭和]]における[[春秋園事件]]はその最後にして最大のものだった。相撲取りが相撲を取ることによって生計が立つようになったのは、昭和に入ってからと言って良い。
[[1958年]](昭和33年)、こうした相撲界の体質は[[国会]]で問題視され、それ以降は月給制等による力士の待遇改善の試みが進んだ。それでも、年6場所および地方巡業により一年間のほとんどを拘束される力士たちに対しては、「時給で見れば世界でもっとも可哀想なプロスポーツ選手」という声がある。[[個人事業主]]として活動する多くの他のプロスポーツ選手と、[[給与所得|給与所得者]]として活動する力士との間では[[労働条件]]を異にする部分があるため一律には比較できないものの、横綱でも他のプロスポーツ選手のトップクラスと比べると相当に安い。実際に[[小錦八十吉 (6代)|小錦]]は自身の大関在位時代(1987年7月場所から1993年11月場所)の月給について「100万円くらい。僕たちは着物を着るけど、安くても一つ30万円」と証言しており、地位に見合った着物など必需品を自費で購入することを考えれば安いとする主張をしたことがある。同時に「僕の時代は、どんな幕内力士でも(懸賞は)必ずあった」とも話しており、さらに「僕も200万近く貰っていた。一番いいときに」と自身の全盛期には場所の懸賞金が1ヶ月分の給料を上回っていた事実も明かした。<ref>『解禁!暴露ナイト』2013年1月24日放送分</ref><ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/7349173/ KONISHIKI、相撲界の驚くべき金銭事情を明かす] Sports Watch 2013年01月25日11時30分</ref>この時代に及んでも尚、協会から支給される月給だけでは関取個人の生活にも不足が生じる前提が生じていたのである。[[2001年]](平成13年)に力士・年寄の給料増額が記録されてから2019年1月に力士の給料増額まで据え置きとなっていた時期があった。[[2008年]]には当時の力士会会長の朝青龍が「せめて場所入り用の交通費ぐらい何とかしてくれ」と相撲協会に賃上げを要求したが首脳陣に相手にされなかったという報告もあり、この間の協会は財政状況が潤沢でなかったとされる<ref>『相撲』2013年12月号57頁</ref>。ただし2015年の冬季ボーナスは「もし俺に何かあったら、(給料の底上げを)頼むぞ”」と北の湖が協会関係者に伝えていたことなどが影響し、2014年と比べて3割ほどアップしたという<ref>週刊女性2017年8月1日号</ref>。
一方で、
金銭面に関しては、後援者([[タニマチ]])からの祝儀が大きな収入源の一つになっている。各力士によってタニマチの大小はあるが、横綱・大関などへ有力な人物がタニマチになった場合、優勝時には1,000万円以上の祝儀が集められるという。特に[[千代の富士]]の全盛時は一晩で5,000万円集まったという。これは角界では後援者からの祝儀は給与より大きな比重を占めているという現実がある。年寄株の取得資金、部屋経営の資金、有力学生相撲選手の獲得資金等も含めて、角界はタニマチなしでは成り立たない構造となっている。
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