「笠置シヅ子」の版間の差分

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* 戦中戦後は芸能界に[[メタンフェタミン|ヒロポン]]が蔓延しており、シヅ子も常用していたといわれる。
* [[吉本穎右]]とは1943年6月、穎右がまだ[[早稲田大学]]の学生の時に知り合う。「眉目秀麗な青年」「ひじょうに心のやさしい、フェミニスト」とシヅ子が自伝に記した穎右と死別後は、生涯独身を貫いた。穎右との間の一人娘は、「母にとって男性は父だけだったでしょう。吉本穎右ひとすじのひとでしたから」<ref>[[砂古口早苗]] 『ブギの女王・笠置シヅ子-心ズキズキワクワクああしんど-』 [[現代書館]]、2010年、243頁</ref>と語っている。シヅ子は穎右と初めて会ったときに穎右からもらった名刺を終生、肌身離さず身に付けていたという。
* 幼少の頃の[[うつみ宮土理]]宅の隣に住んでいた時期があった(メディアブックス[[クイズダービー]]80Pより
*[[笑福亭鶴瓶]]が自己紹介のつかみで「私の母は、笠置シズ子です」と、メガネを外して言う時期があった(垂れ目で顔が似ているため)。実際はこの二人は面識はなかったそうだが、シヅ子もどこかでそれを聞きつけ、知人などに「鶴瓶ちゃんて、ウチの隠し子やねんで」と冗談めかして語ることがあった。
 
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