「海人 (能)」の版間の差分

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藤原鎌足の娘が唐の第3代皇帝・高宗の后に
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『'''海人'''』(あま、別表記'''海士''')は、[[能|能楽]]作品のひとつ。旧来[[世阿弥]]作ともいわれてきたが、世阿弥自身がこの能の一部について「金春の節である([[申楽談儀]])」と書いているところから、世阿弥の時代にはすでにこの主題の能があったことが推測される。
 
[[讃岐国]][[志度寺]]の縁起、[[藤原氏]]にまつわる伝説を素材に、ドラマチックに作り上げられた作品。[[藤原房前]]の出生譚や、[[藤原鎌足]]の女性が[[唐]]の第3代皇帝・[[高宗 (唐)|高宗]]の后になったという伝説、海底に奪われた宝物をとりかえす[[海人]]の伝承、房前が志度寺に寄進したことなどを題材としている。
 
わが命を犠牲にしてまで子の栄達を願う母の行動を主筋に、[[法華経]]による女人[[成仏]]などの宗教性も加味した人気のある能のひとつである。
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従者が彼女に「海底の[[藻]]をとってきてください」と頼むと海女は「空腹でいらっしゃるなら、ここに持っている藻をおあがりください」と応える。従者は「そうではないのだ。海に映る月をご覧になるのに、藻がじゃまになるのだ」という。それを聞いた海女は「昔もそのようなことがあった。海底の珠をとってこいとのことだった」と感慨深かげに言う。その折のことを語ってほしいという従者の頼みに海女は次のように語り始める。
 
「今の大臣淡海公([[藤原不比等]])の(姉または妹の意味)が唐のになられるにあましって、唐の[[高宗 (唐)|高宗]]皇帝から、后の御氏寺である[[興福寺]]に三つの宝物が贈られました。そのうちのひとつ『面向不背の珠(釈迦の像が必ず正面にみえる不思議な宝珠)』をこの地で[[龍宮]]にとられてしまいました。大臣はその珠を奪い返すため身をやつしてこの地に来られ、海人乙女と契りを結ばれました。そのとき生まれたのが房前の大臣です」と。房前はそれを聞き「われこそ房前大臣である。わが母は志度の浦の海女ときかされてここに来たのだ」と名告る。海女はさらに、珠を取り返したときのことを語る。
 
「もし珠をとってきたら、この子を世継ぎとしてくださるという約束に、海女は命を惜しまず海中に飛び入ったのです」という語りから[[能#地謡|地謡]]にあわせての所作になる。