「ザビーナ・シュピールライン」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし |
m 修正 |
||
1行目:
'''ザビーナ・シュピールライン'''('''Sabina Spielrein''' [[1885年]] - [[1942年]])は[[ロシア]]出身の[[精神分析学者]]。
== 概要 ==
[[ロストフ・ナ・ドヌ|ロストフ]]の裕福な[[ユダヤ人]]の家庭に生まれ育つ。父ニコライは[[商人]]、母エヴァは[[歯学部]]の出身者だった。
[[1912年]]、ロシア系ユダヤ人医師パヴェル・ナウモーヴィチ・シェフテルと結婚し、[[ベルリン]]で暮らした。[[第一次大戦]]中は[[スイス]]で暮らしたが、[[1923年]]、[[ソビエト|ソヴィエト]]政権下の[[ロシア]]に帰国し、ロシア精神分析学協会に参加すると共に、[[モスクワ]]にて[[幼稚園]]を設立。なるべく早い時期から子供たちを自由人として育てることを旨とした幼稚園であり、[[スターリン]]が息子ヴァシリーを偽名で入園させたこともあったが、3年後、幼児たちへの性的虐待という冤罪をかけられたため、閉鎖を余儀なくされた。背後には、[[精神分析学]]に対するスターリン政権からの弾圧があった。
[[1936年]]、[[大粛清]]で夫を殺された上、[[1942年]]には故郷ロストフにて、ザビーナ自身も娘たちと共に[[ナチ]]の手で殺害された。
|