「エホバの証人」の版間の差分

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[[日本]]においては2018年度の最高伝道者数は212,802人であり、[[アジア]]諸国では[[フィリピン]]に次いで多い。
 
== 教義にもとづく解説 ==
 
'''エホバ信仰の確立'''
 
・'''1919年''' 統治体となるところの聖書研究会は「黄金時代」誌(現・目ざめよ!誌)を創刊し、イエス・キリストは神の子であり、神ではなく、エホバに最初に創造された者であるとの観点にもとづき、エホバ神を崇拝の対象とする。のちにエホバの証人とされる信者は、エホバ神の崇拝を始める。
 
・'''1931年''' 「エホバの証人」という名称を採択する。統治体はエホバ神の崇拝には、聖書を用いた信者個人の証言能力が重視されていることを表明した。信者は自らを「エホバの証人」と呼ぶことを始める。<ref>ここより統治体は対外的にはエホバの証人の活動のバックボーン的な最高組織として指導してゆくこととなる。信者個人とエホバ神との直接的な関係が構築されることとなる。</ref>エホバ神を崇拝する信者は「エホバの証人」として、エホバ神の崇拝が正しいとする聖書の研究と会合を通して信仰を深めてゆくこととなる。<ref>1923年には2年後に死者が復活するという終末観が統治体によってなされており、その6年後のこととなる。</ref>
 
年代については、「[[エホバの証人に関する論争]]」の外れた予測も参照
 
== 教義の概要 ==