「源頼義」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎晩年: 画像更新。
Mrmt1959 (会話 | 投稿記録)
m 誤字修正
タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集
85行目:
 
=== 鳥海柵制圧 ===
同11日、官軍は安倍軍を追って鳥海柵へと至ったが、すでに安倍氏は鳥海柵を放棄して本拠地である[[厨川柵]]へと退却してしまっていた。柵内には大量の美酒が残されており、はじめ頼義は毒が盛られているのではと警戒したが、毒をした結果、その心配は無かったので将兵に酒を振る舞った。これによって官軍の士気はますます高まった。頼義は武則に「頼時を討伐してより、鳥海の柵という名をずっと聞いていたが、これまで実物を見ることができずにいた。しかし今日貴殿らの活躍によって初めてここに入ることができた。武則殿よ、今の余の顔色を見てどのように感じるか?」と語った。
 
武則は「将軍は長年にわたって皇家の御為に忠節を尽くして来られました。風の中で髪をくしけずり雨で髪を洗い、蚤や虱のたかった甲冑をお召しになり、官軍を率いて苦しい征旅を続けられました。既に開戦より10余年の歳月が過ぎておられる。天地の神仏は将軍の忠孝を助け、我が将兵たちは皆、将軍の志に感じ入っております。今、賊軍が敗走したことは、これまで溜めていた水が堤を切って流れ出したようなものです。私は将軍の指揮に従っただけです。どうして私に武勲などありましょうか。ところで、将軍のお姿を拝見しますと、白い御髪が半ば黒に戻っている様に見えます。厨川柵を陥として貞任の首を取ることができれば、将軍の御髪はきっと漆黒となり、痩せられたお身体もふっくらとなされるのではないでしょうか」と答えた。