「ベトナム戦争」の版間の差分

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ベトナム戦争は、[[高度成長期]]にあった日本にも大きな影響を与えた。ベトナム戦争の期間中、7年6か月間に亘って、日本の[[内閣総理大臣]]を務めた[[佐藤栄作]]([[1964年]]秋 - [[1972年]]春)は、[[日米安保条約]]の下、開戦当時は[[アメリカ合衆国による沖縄統治]]下だった[[沖縄県]]や[[横須賀海軍施設|横須賀]]、[[横田飛行場|横田]]などの[[在日米軍]]基地の提供や、兵站補給基地として[[アメリカ合衆国連邦政府]]を一貫して支え続け、[[1970年]]には安保条約を自動延長させた。
 
当時新左翼を含めて、ベトナム戦争反対派は「70年[[安保闘争]]」と並ぶ運動の中核とみなし、一般市民によるベトナム反戦運動やアメリカ軍脱走兵への支援をおこなったほか、自らの「反戦」運動や、[[成田国際空港|新東京国際空港]]など[[インフラストラクチャー]]破壊活動を伴う、過激な[[学生運動]]([[成田空港問題三里塚闘争]])も盛り上がりを見せた。
 
ただし、[[南ベトナム解放民族戦線]]を支持する「[[第四インターナショナル]]」や「[[ベトナムに平和を!市民連合]]」等と、[[反スターリン主義]]の立場から[[北ベトナム]]政権不支持を主張し、ベトナム戦争反対を掲げた「[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派]]」や「[[革命的共産主義者同盟全国委員会]]」等とでは温度差があり、同床異夢の感があった。なお[[ソ連崩壊]]後に公表されたソ連の史料により、「ベトナムに平和を!市民連合」は[[KGB]]から支援を受けていたことが発覚している。