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== 発祥と発展 ==
生まれは、[[カリフォルニア州|カルフォルニア]]。1968年の[[メキシコシティオリンピック]]のカヤック競技の選手だったマーヴ・ラーソンは、座って波乗りできないかと、サーフィン用のカヤック(サーフカヤック)を作り出した。その後、普通のサーフィンの性能に近づけたものを追求し、ボードの上に座るウェイブスキーを発明するに至った。1960年代末に、「パシフィック・ヴァイブレーション」と「ソルト・ウォーター・ワイン」というサーフィン映画でラーソンが9フィートのフィンなしウェイブスキーで10フィートの波を自由自在に乗りこなすシーンが紹介され、これに刺激を受けたオージーたちがコピーをつくり、次々と改良を加えていった。ラーソンは南アフリカに招かれ、英国ではサーフカヤックのデザインを売り出し、ウェイブスキーをオーストラリアに送り込んだ。
 
南アフリカと英国もこのウェイブスキーの進化をただちに受け入れた国だった。オーストラリアでは、パドルを使い慣れたライフセイバーや彼らのOBたちの間にブームが起こり、ライフセイビング用品の製造メーカーがウェイブスキーを作り始めた。シドニーやニューキャッスルではラディカルなデザインを追求するグループもあらわれた。ロジャー・シャクルトンはウェイブスキーのデザインにサーフボードの理論を採用した。以降、サーフボード同様のポリスチレン・フォームから削り出すハンドシェイプのタイプの他、モールドタイプなどが作られるようになり、オーストラリア、アメリカ、南アフリカ、ニュージーランド、イギリス、オランダ、フランス、ブラジルなど多くの国で互いに触発、影響されながら、現在のようなウェイブスキーに進化してきている。