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'''宍戸 左行'''(ししど さこう、[[1888年]][[11月5日]] - [[1969年]][[2月3日]])は、[[日本]]の[[漫画家]]。本名は宍戸嘉兵衛。[[福島県]]生まれ。福島中学(現[[福島県立福島高等学校]])卒業<ref>{{cite book|和書|title=漫画家アニメ作家人名事典|author=日外アソシエーツ編集部|year=1997|ISBN=4816914234}}</ref>。左行という[[ペンネーム]]は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]からの帰国後に見た左側通行の立て札から。
 
1907年(明治40年)、18歳で絵の勉強のためアメリカのシアトルに渡り{{Cite book|title=National Archives and Records Administration; Washington, D.C.; Passenger and Crew Lists of Vessels Arriving at Seattle, Washington; NAI Number: 4449160; Record Group Title: Records of the Immigration and Naturalization Service, 1787 - 2004; Record Group Number: 85; Series Number: M1383; Roll Number: 7|publisher=Ancestry.com. Washington, Passenger and Crew Lists, 1882-1965 [database on-line]. Provo, UT, USA: Ancestry.com Operations, Inc., 2006.}}、キャノン画塾や漫画の[[通信教育]]で学んだ。9年間のアメリカ滞在中、[[内村鑑三]]の弟であり、宍戸の中学時代の英語教師である内村順也と共同生活をした。宍戸はアメリカで毎日映画を見た。これが後の漫画制作に活かされていると思われる。帰国後、東京毎夕新聞社に入社し政治漫画を描いた。その後、やまと新聞、[[東京日日新聞]]社でも漫画を描く。1930年、部数拡大のため漫画部を設立したばかりの読売新聞社に移り『スピード太郎』を描いた。以降、政治漫画と並行して、生活のために児童漫画も描いた。晩年は[[水墨画]]を描いた。
 
児童漫画作品には『スピード太郎』のほか、『スピード三郎』、『特急無敵三郎』、『アコチャン日記』、『アトム太郎』、『U星たんけん』がある。そのほか、大人向けには『ユーモア錠剤』と『漫画・漫談アメリカの横ッ腹』、水墨画には『玄奘三蔵絵伝』がある。