「国司親相」の版間の差分

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辞世の句「よしやよし 世を去るとても 我が心 御国のために なほ尽さばや」「君がため つくせやつくせ おのがこの 命一つを なきものにして」。
 
[[慶応]]元年、親相の養嗣子にあたる国司健之介純行は、義父を美登理神社(親相の居館の西に社殿完成。宇部市大字万倉伊佐地)に祀る。後に慶応3年([[1867年]])11月に毛利敬親の意を受け、天龍寺の真向かいで国司家練兵場である、土井(宇部市大字万倉土井)の垰山に招魂場を設置、親相を始め殉国の兵26名の英霊を祀った。その後、[[大東亜戦争]]までの英霊を祀り、[[平成]]18年([[2016年]])に招魂碑は万倉護国神社に移遷。
 
墓所は厚狭郡楠町(2004年11月1日宇部市奥万倉に住所変更)の天龍寺。妻と並んで墓石が建っている。死後の[[明治]]21年([[1888年]])に[[靖国神社]]合祀。明治24年([[1891年]])、贈正四位。