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[[File:Vale_tudo5_o.jpg|thumb|400px|right|2005年、ストックホルムで行なわれた European Vale Tudo の試合の一場面]]
'''バーリトゥード'''({{lang|pt|Vale tudo}})は、[[ポルトガル語]]で「何でもあり」を意味し、20世紀において[[ブラジル]]で人気を博すようになった、最小限のルールのみに従って素手で戦うフルコンタクト方式の格闘技イベントの名称である<ref>European Vale Tudo. [https://web.archive.org/web/20060428111231/http://www.europeanvaletudo.com/aboutevt.asp About European Vale Tudo]. ''www.europeanvaletudo.com''. URL last accessed on April 28, 2006.(2006年4月28日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref><ref name="am20040227">{{cite news|newspaper=朝日新聞・朝刊|date=2004-02-27|page=14|title=「何でもあり」の衝撃(総合格闘技六話:その1)|author=大野宏}} - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧</ref>。一部の論者は、バーリトゥードを[[近接格闘術]] ([[:en:Combat sport|combat sport]]) のひとつの形態と捉えている<ref>{{cite web|last=Walter|first=Donald F.|url=http://grapplearts.com/Mixed-Martial-Arts-1.htm|title=Mixed Martial Arts: Ultimate Sport, or Ultimately Illegal?|publisher=grapplearts.com|accessdate=2006-04-28}}</ref>。バーリトゥードは他の様々な形態の[[武道]]([[マーシャルアーツ]])から技法を取り入れてきた結果、 今日の[[総合格闘技]]に近いもとなっており、「総合格闘技の代名詞」原型と称されることもある<ref name="am20040227" />。
 
== 歴史 ==
===1920年代から1980年代まで ===
[[1920年代]]のブラジルのサーカス興行においては、「バーリトゥード」と呼ばれ格闘技が、[[サーカス]]の余興の出し物として人気を博した<ref>[http://www.boxrec.com/media/index.php/Boxing_booth Boxing booth – Boxrec Boxing Encyclopaedia]. Boxrec.com. Retrieved on 2012-01-08.</ref>。こうした見世物余興の様子を描いた[[1928年]][[10月4日]]付の『''Japanese-American Courier ''』の記事は次のようなものであった<ref>出典と推定される記事: [http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,928081,00.html "Jiu Jitsu,"] ''Time,'' September 24, 1928.</ref>。
 
{{quote|サンパウロブラジルからのある報道は、柔術こそが真に最強の武術である優秀だ声高に伝え宣言し、大サーカスの横に設けられた付属サイドテントの中で行なわれた興味深い見世物公開試合において、[[バイーア州]]出身の化け物のように大きな男が、小柄な日本人格闘家の手にかかってコテンパンにやっつけられたことを伝えた。大男は[[南アメリカ]]に古くから伝わる格闘技である[[カポエイラ]]の達人だったが、日本人を背負って、頭を蹴ろうとしたところ、...この小柄な東洋人が柔術を使って反撃し、大男を掴んで投げ飛ばし、少しばかり格闘した後、最後は動かなくなった大男の上に腰を下ろして座っていたという。}}
 
しかし、このサーカスの用語が、広く一般的に使われるようになるのは[[1959年]]から[[1960年]]にかけての時期に、[[リオデジャネイロ]]のテレビ局の番組『''Heróis do Ringue''』(「リングのヒーローたち」の意)において、様々る種類の格闘技の選手同士をせる試合を指してこう呼び慣らわ説明ようる際なってからであ使われたときだった。この番組の取組の企画者マッチメーカーや司会者たちは、[[カーウソン・グレイシー]]やカーリー・グレイシーといった[[グレイシー一族]]の面々を出場させたのをはじが務め、いずれの出場者もそれぞれのスタイルで鍛えた本物の手練であった。ある晩の放送中、ジョアン・アルベルト・バレート(João Alberto Barreto:後に [[UFC 1]] のレフェリーを務めた人物)は、[[ルタ・リーブリ]]の選手と戦うことになった。その試合でバレートは相手をつかまえて[[アームロック]]の技をかけたが、相手はギブアップしなかった。結局、バレートはそのまま相手の腕を折ってしまった。こうした成り行きの結果、番組は打ち切りとなり、程なくして『''[[:en:Telecatch|Telecatch]]''』という[[プロレス]]番組が後継の番組となった。
 
{{要出典範囲|[[1960年代]]以降のバーリトゥードは、ほとんど[[サブカルチャー]]の域を出ない存在となり、試合のほとんどは、マーシャル・アーツの格闘技道場や小さな体育館で行なわれていた|date=2009-3}}。サブカルチャーとしてのバーリトゥードは、主としてリオデジャネイロで行なわれていたが、[[ブラジル北部地方|北部地方]] ([[:pt:Região Norte do Brasil|Região Norte]]) や[[ブラジル南部地方|南部地方]] ([[:pt:Região Sul do Brasil|Região Sul]])、さらに[[カポエイラ]]が盛んな[[バイーア州]]でも、数多くの試合が行なわれた。{{要出典範囲|リオデジャネイロのシーンでは、[[ブラジリアン柔術]]と[[ルタ・リーブリ]]の抗争に焦点が当てられていたが、他の地域における興行対戦では,より広く様々なマーシャル・アーツ格闘技が競う形態となることが多かった|date=2009-03}}。
 
=== 1990年代以降 ===
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「何でもあり」が原義であり、ルールを限定するバーリトゥードは、団体によって、また、試合によって、その都度異なるルールが設定されることもある<ref name="am20040304">{{cite news|newspaper=朝日新聞・朝刊|date=2004-03-04|page=14|title=競技性高めるPRIDE(総合格闘技六話:その5)}} - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧</ref>。[[グレイシー一族]]は、反則が多いルールで行なわれることを理由に、大会への参加を拒むことがあった<ref name="am20040227" />。
 
[[グレイシー柔術]]で行なわれていた、急所攻撃さえ認めるようなもっとも限定的なルールの場合でも、み付きと、目への攻撃は反則とされていた<ref name="am19940309">{{cite news|newspaper=朝日新聞・夕刊|date=1994-03-09|page=7|title=格闘技に残る戦いの原点 作家・夢枕獏さん(現代のスポーツ考:3)|author=村山正司}} - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧</ref>。米国のUFCは、これに加えて、急所攻撃や頭突きなどを反則としている<ref name="am20040304" />。他の格闘技でしばしば反則とされる、顔面への打撃や関節技が正当な技として用いられる点は、バーリトゥードの特徴であり、寝技で相手の上に馬乗りになって顔面を打撃し、相手が打撃を逃れようとうつぶせになる所で首を絞める、という展開がしばしば見られ、馬乗りの体勢となることが「定石」とされている<ref name="am20040301">{{cite news|newspaper=朝日新聞・朝刊|date=2004-03-01|page=10|title=グレイシー神話を超えて(総合格闘技六話:その2)}} - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧</ref>。
 
== 関連項目 ==