「竹中重治」の版間の差分

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[[天文 (元号)|天文]]13年([[1544年]])、[[斎藤氏|美濃斎藤氏]]の家臣で[[美濃国]][[大野郡 (美濃国)|大野郡]][[大御堂城]]([[岐阜県]][[揖斐郡]]大野町)城主・竹中重元の子として同地に生まれる。
 
[[弘治 (日本)|弘治]]2年([[1556年]])[[長良川の戦い]]が初陣となる。[[斎藤道三]]に味方したが、父が不在のため代わりに大将を務めた。籠城戦の末、 [[斎藤義龍]] の軍を退けている。[[永禄]]元年([[1558年]])、父は[[不破郡]][[岩手村_(岐阜県)|岩手]]城主・[[岩手弾正]]を攻略し、永禄2年([[1559年]])、[[菩提山城]]を築いて居城を移し、重治もこれに従う。
 
永禄3年([[1560年]])、父の死去または隠居(一説に父の死去は永禄5年([[1562年]])とも)により[[家督]]を相続し、菩提山城主となった。そして長良川の戦いで勝利した美濃国の国主・[[斎藤義龍]]に仕えた。永禄4年([[1561年]])に義龍が死去すると、その後を継いだ[[斎藤龍興]]に仕える。