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== 概要 ==
元々、[[律令制]]においては1年単位で契約を結ぶ[[賃租]]と呼ばれる形態があり、請作はこの流れを汲む制度とされている。すなわち、耕作を希望する者は土地所有者に対して[[請文]]と呼ばれる書類を提出して契約を結び、土地を借りて耕作を行い、その収穫の中から土地所有者に対して[[地子]]や[[官物]]・[[年貢]]を納入する制度である。平安時代後期から[[中世]]にかけての[[荘園公領制]]の下では、対象地は[[荘園 (日本)|荘園]]や[[国衙領]]に属する土地(通常は[[散田]]・[[一色田]]など所有者の直轄地)、土地所有者は[[勧農]]を行う[[荘園領主]]や[[国司]]に相当する。契約は春先からの1年単位で、耕作者の土地に対して期間限定の占有権・用益権を持つに過ぎない。その代り土地所有者との間に隷属関係などの身分的な拘束を受けることはなかった。特殊な例として[[未進]]などの問題が生じない限りは契約が自動的に延長される永年請作という契約も存在し、実際に所有者との間に身分的隷属の要素を持ちながら子孫に相伝される請作地も存在した。
 
時代が下るにつれて[[名主]]などの有力者が[[作手]]・[[作人]]となって土地所有者に対して請文を出すものの、作手・作人自身もまた小農民に当該土地を請作させてその中間的な得分のみを獲得するようになった。荘園公領制が解体された江戸時代に入ると、名主(かつては作手・作人を担った)が小農民との間で結んだ請作関係のみが存続し、隷属的要素を持った私的な請負耕作・小作関係を指すようになった。