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'''3C政策'''(さんCせいさく)は、[[19世紀]]後半から[[20世紀]]前半において[[イギリス]]が推進した世界政策で、[[カイロ]] ('''C'''airo)airo) 、[[ケープタウン]] ('''C'''apetown)apetown) 、カルカッタ ('''C'''alcutta・現:[[コルカタ]] Kolkata)Kolkata) を[[鉄道]]で結ぶ[[植民地政策]]をいう。3都市の頭文字"C"をとり、3Cと呼称される。推進者であった[[セシル・ローズ]]の名をとって「セシルの夢」とも呼ばれる<ref>[[林一哉]]「[http://doors.doshisha.ac.jp/webopac/4040003._?key=WLPXNW ウガンダ鉄道と英領東アフリカ 植民地鉄道の現地経済への影響]」『經濟學論叢』第40巻 第4号 pp.105-155, 同志社大學經濟學會 1989年7月31日</ref>。
 
== 概要 ==
[[アフリカ大陸]]を南北に縦貫し、あわせて「[[インド]]への道」を南北双方から確保しようというもので、アフリカ縦断政策に対してはアフリカ横断政策をとる[[フランス]]と、また、[[中央アジア]]から・[[アフガニスタン]]・[[イラン]]方面へと[[南下政策]]をとる[[ロシア]]とも対立したが、その都度妥協の成立に成功した。
 
しかし、19世紀末ころより[[ドイツ帝国]]のとった[[3B政策]]とは衝突、[[ドイツ皇帝]][[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]とのあいだには妥協が成立せず、[[ヨーロッパ]]で[[三国協商]]対[[三国同盟 (1882年)|三国同盟]]という図式が成立し、[[サラエボ事件]]をきっかけに[[第一次世界大戦]]を引き起こすことになった。
 
== 関連項目 ==