「山崎城」の版間の差分

編集の要約なし
編集の要約なし
編集の要約なし
{{otheruses|[[鳥取県]][[鳥取市]][[国府町_(鳥取県)|国府町]]にある山崎城|[[京都府]][[乙訓郡]][[大山崎町]]の山崎城|山崎城 (山城国)|[[愛知県]][[名古屋市]][[南区 (名古屋市)|南区]]にある戦国武将[[佐久間信盛]]の居城|山崎城 (尾張国)|[[滋賀県]][[彦根市]]里根町にある戦国武将[[山崎片家]]の居城|山崎城 (近江国)}}
{{日本の城郭概要表|
| name = 山崎城|
| pref = 鳥取県|
| struct = 連郭式山城|
| tower_struct = なし|
| builders = [[因幡毛利氏]]か|
| build_y = [[室町時代]]頃|
| revamp = 不明|
| rulers = [[山崎毛利氏]]|
| reject_y = 不明|
| remains = 郭、土塁、石垣、堀切、竪堀|
| location = |
}}
 
'''山崎城'''(やまさきじょう)は[[鳥取県]][[鳥取市]][[国府町_(鳥取県)|国府町]]山崎に存在した[[日本の城]]。
 
== 歴史 ==
[[室町時代]]頃に[[因幡毛利氏]]が築城したと言われ、一族の[[山崎毛利氏]]が居城した。[[天文 (日本)|天文]]年間に城の立地する大萱(おおかや)郷が[[但馬国|但馬]]と通じる要所であることに目をつけた本家に攻撃され([[山崎城の戦い]])落城、山崎毛利氏滅亡後は私部本家のものとなった。
 
== 遺構 ==
* [[扇ノ山]]系末端の標高242m(比高110m)の山頂部に位置する。周囲の山が城山より高いため見晴らしはあまり良くなく、城から南西方面にある「吉野村城」<ref>吉野村城は城から南西方向の学行院の後ろの山(標高197m)に存在した。地元では「城山」と言われるが、城の作りは簡単で小規模なものであり山崎城の望楼施設と考えられている。城主は[[八東郡]]の伊田氏家臣・和田氏とも山崎毛利氏の家臣ともいわれるが後者の方が有力である。</ref>をその望楼としていたと考えられている。
* 主郭は縦35m、横10mで周囲に帯曲輪を配し、一部に簡単な[[石垣]]が見られる。
* 主郭南西部の尾根には4つの小さい[[曲輪]]が見られるほか、南東部尾根には縦53m、横6~8m程の細長い曲輪とそれを区切る堀切、主郭部側には三角形状の縦17m、横15mの曲輪等が存在している。
* 城の東方には通称・家老屋敷と言われる地域があり、長さ60m、高さ3m程の大土塁や平坦地が存在するが文献等には記載されていないため詳細は不明である。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
{{No footnotes|date=2020年5月|section=1}}
*鳥取県教育委員会 『鳥取県中世城館分布調査報告書 第1集(因幡編)』2002年
*財団法人国府町教育文化事業団 編集・発行『山崎城史料調査報告書』2003年