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| 国 = {{ENG}}
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1977|1|3}}
| 出身地 = {{ENG}}・[[ロンドン]]
| 身長 = 179cm
| 体重 = 74kg
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| 監督年1 = 2018- | 監督チーム1 = {{flagicon|ENG}} [[チャールトン・アスレティックFC|チャールトン]]
}}
'''リー・デイヴィッド・ボウヤー'''(Lee David Bowyer、[[1977年]][[1月3日]] - )は、[[イングランド]]出身の[[サッカー]]選手]]、サッカー指導者。現役時代のポジションは[[ミッドフィールダー|MF]](右サイドハーフ、センターハーフ)。現在は[[チャールトン・アスレティックFC]]の監督を務めている。
 
{{要出典範囲|Eクロス精度が高く、得点力も高い|date=2020-05}}。[[サッカーイングランド代表|イングランド代表]]にも選出されたことがあるが、{{要出典範囲|気性が荒いのが難点である|date=2020-05}}。これまでに100枚を超えるイエローカードを受けている。
 
== 経歴 ==
=== クラブ ===
子どものころは[[ウェストハム・ユナイテッドFC|ウェストハム]]のファンだったが、[[チャールトン・アスレティックFC|チャールトン]]のアカデミーに入団した。1995年、マリファナに手を染めて有罪となった。1996年、10代としては史上最高額で[[リーズ・ユナイテッドFC|リーズ]]に移籍し、8月の[[ダービー・カウンティFC|ダービー]]戦でデビューした。9月に目を負傷して療養していたが、深夜にロンドン市内のマクドナルドで乱闘騒ぎを起こして4000ポンドの罰金を食らっ科された。1997-98シーズンは[[ジョージ・グレアム]]監督に冷遇されたが、1998-99シーズンに[[デヴィッド・オレアリー]]監督が就任すると若手を中心としたチーム編成を進め、ボウヤーはこのシーズンのチーム・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーに輝いを受賞した。
 
2000年1月、[[ジョナサン・ウッドゲート]]と共にパキスタン人留学生を暴行したとして起訴される。裁判が始まり、イングランド代表からは落選した。2月、[[トッテナム・ホットスパーFC]]戦で相手選手の胸を蹴り、FAから代表戦出場停止処分を受けた。2000-01シーズンには、裁判と試合の両方に出るためにクラブがヘリコプターをチャーターしたこともあった。同シーズンには自身2度目のチーム・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。[[UEFAチャンピオンズリーグ]]で準決勝に進出したチームの立役者となり、[[ハリー・キューウェル]]と共にクラブの看板を背負った。2001年12月、留学生暴行事件で無罪となった<ref>{{Cite web
|author=スポーツナビ
|date=2005.7.27
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== 所属クラブ ==
* 1993-1996 {{flagicon|ENG}} [[チャールトン・アスレティックFC]]
* 1996-2002 {{flagicon|ENG}} [[リーズ・ユナイテッドFC]]
* 2003.1-2003.7 {{flagicon|ENG}} [[ウェストハム・ユナイテッドFC]]
* 2003-2006 {{flagicon|ENG}} [[ニューカッスル・ユナイテッドFC]]
* 2006-2009 {{flagicon|ENG}} ウェストハム・ユナイテッドFC
: →2009.1-2009.6 {{flagicon|ENG}} [[バーミンガム・シティFC]] (loan)
* 2009-2011 {{flagicon|ENG}} [[バーミンガム・シティFC]]
* 2011-2012 {{flagicon|ENG}} [[イプスウィッチ・タウンFC]]
 
== 指導歴 ==
* 2018- {{flagicon|ENG}} [[チャールトン・アスレティックFC]]
 
== タイトル ==
;クラブ
;{{flagicon|ENG}} バーミンガム・シティFC
* [[フットボールリーグカップ]] 2010-2011
 
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*{{soccerbase|id=870|name=Lee Bowyer}}
 
{{チャールトン・アスレティックFCのメンバー}}
{{Footybio-stub}}
 
{{チャールトン・アスレティックFCのメンバー}}
 
{{DEFAULTSORT:ほうやあ りい}}
[[Category:イングランドのサッカー選手]]