「グアダルーペ・イダルゴ条約」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
1行目:
{{出典の明記|date=2017年11月}}
[[画像:Wpdms mexican cession.jpg|thumb|赤:メキシコ割譲地<br>橙:ガズデン購入によりアメリカへ]]
'''グアダルーペ・イダルゴ条約'''({{lang-en-short|Treaty of Guadalupe Hidalgo}}、{{lang-es-short|Tratado de Guadalupe Hidalgo}})は、[[米墨戦争]](1846年 - 1848年)を終結させた[[1848年]]5月の[[条約]]である。この条約で[[メキシコ]]は 1,500 万[[ドル]]と引き換えに[[アメリカ合衆国]]に広大な(136 136万[[平方キロメートル]]の広大な土地を譲渡した([[メキシコ割譲地]])。また同時にメキシコの対米債務 325 万ドルを帳消しとした。
 
譲渡されたのは現在の[[テキサス州]][[コロラド州]][[アリゾナ州]][[ニューメキシコ州]][[ワイオミング州]]の一部、および[[カリフォルニア州]][[ネバダ州]][[ユタ州]]の全域である。今日[[アリゾナ州]]と[[ニューメキシコ州]]の一部分となっている残りの地域は、1853年の[[ガズデン購入]]により譲渡された。テキサス州とメキシコの国境は[[リオグランデ川]]とすることが確定した。
 
==調印と批准==
条約はアメリカ合衆国側が[[外交官]]である[[ニコラス・トリスト]]、メキシコ側は[[ルイス・G・クエバス]]、[[ベルナルド・コウト]]、[[ミゲル・アトリスタイン]]の 3 名がそれぞれ全権として、[[メキシコシティ]]の北方数キロメートルにあるグアダルーペ・イダルゴ(Villa de Guadalupe Hidalgo 、現在の[[グスタボ・A・マデロ]])で1848年2月2日に調印され、3月10日に[[アメリカ合衆国上院|アメリカ上院]]5月19日にメキシコ政府でそれぞれ[[批准]]された。1848年5月30日にはメキシコ中部[[ケレタロ州]]ケレタロ市で批准書の交換が行われた。
 
しかしアメリカ側の批准書では第10条(米国政府は譲渡された地域のメキシコ及びスペイン人に対し、彼らが居住している土地の無償払い下げを約束するもの)の全文が削除され、また9条は書き直されており(譲渡地域内のメキシコ人が米国アメリカ[[市民権]]を得るには議会の承認が必要とすることになった)、これは8条に示された「譲渡地域内のメキシコ人は1年を経過したらアメリカ合衆国市民権を自動的に得ることができ出来る権利」を死文化するものであった。
 
== 外部リンク ==