「吉田正廣」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
[よしだたくろうの母 吉田朝子さん・週刊平凡毒蝮三太夫シリーズおふくろ第34回]追加
誤字
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
1行目:
{{出典の明記|date=2015年11月8日 (日) 03:42 (UTC)|ソートキー=人}}
'''吉田 正広'''(よしだ まさひろ 1894年-1972年1月<ref>http://starstruck99.cocolog-nifty.com/takuchan/34/index.html[よしだたくろうの母 吉田朝子さん・週刊平凡毒蝮三太夫シリーズおふくろ第34回]</ref>)は、[[鹿児島県]]出身の[[郷土史|郷土史家]]。
 
朝鮮総督府の役人だった時 、吉田朝子(当時23歳)と見合い結婚(当時36歳)。朝子は明治40年(1907)8月3日、朝鮮の京城生まれ。父は朝鮮の陸軍病院に勤務していた軍人であった。ひとりっ子としてなに不自由なく育ち、旧制高等女学校を卒業後、単身、日本へ渡り、同志社大学に入学。 3年後、朝鮮で母校で英語の教師を1年間つとめた。敗戦後、帰国し、夫の郷里・鹿児島県大口で、創立されたばかりのラサール高校の舎監を務める。仕事の傍ら、ラサール高校の図書館で独学し、栄養士の資格を得て広島の養護学校の栄養士を10年務める。定年後、広島の自宅でお茶やお花の師匠となる(1985年没)。
 
正広は鹿児島県の郷土史を研究し、県史や議会史等の編纂に携わり、地元の経済大学や短大の講師を兼ねた。