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'''吉田 正広'''(よしだ まさひろ 1894年-1972年1月<ref>http://starstruck99.cocolog-nifty.com/takuchan/34/index.html[よしだたくろうの母 吉田朝子さん・週刊平凡毒蝮三太夫シリーズおふくろ第34回]</ref>)は、[[鹿児島県]]出身の[[郷土史|郷土史家]]。
朝鮮総督府の役人だった時 、吉田朝子(当時23歳)と見合い結婚(当時36歳)。朝子は明治40年(1907)8月3日、朝鮮の京城生まれ。父は朝鮮の陸軍病院に勤務していた軍人であった。ひとりっ子としてなに不自由なく育ち、旧制高等女学校を卒業後、単身、日本へ渡り、同志社大学に入学。 3年後、朝鮮
正広は鹿児島県の郷土史を研究し、県史や議会史等の編纂に携わり、地元の経済大学や短大の講師を兼ねた。
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