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'''德光 和夫'''(とくみつ かずお、[[1941年]](昭和16年)[[3月3日]]〈戸籍上は[[3月10日]]〉 - )は、[[日本]]の[[フリーアナウンサー]]、[[タレント]]、[[司会|司会者]]、[[ニュースキャスター]]。[[日本ドッジボール協会]]顧問、[[ソニー・ミュージックアーティスツ|株式会社ソニー・ミュージックアーティスツ]]顧問、日本司会芸能協会顧問、[[海城中学校・高等学校|海原会]](学校法人海城学園OB会)会長。オフィス ラ・メール所属。マネジメントはソニー・ミュージックアーティスツと業務提携。元[[日本テレビ放送網|日本テレビ]][[日本のアナウンサー|アナウンサー]]。
 
本名の「德」は徳の旧字体で初期の日テレ(一部の記事を除き、以下日テレと略す)『[[ズームイン!!朝!]]』のテロップでもこの表記を使っていたが、現在は通常の「徳」を使用している。愛称は、'''徳さん'''。[[日本プロ野球|プロ野球]]・[[読売ジャイアンツ]]の熱烈なファンで、「巨人親父」とも称される。公の場で感涙することが多く(特に『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]]』)、「かなり涙もろい」キャラクターで知られる。番組開始時の挨拶ではフルネームを言わず「徳光です(でございます)。」と言っている<ref>[[クイズダービー]]の司会をしていた頃は他にも「徳光め」や「徳光ちゃん(とくみっちゃん)」などと挨拶していた。</ref>。
[[日本ドッジボール協会]]顧問、[[ソニー・ミュージックアーティスツ|株式会社ソニー・ミュージックアーティスツ]]顧問、日本司会芸能協会顧問、[[海城中学校・高等学校|海原会]](学校法人海城学園OB会)会長等の肩書きも持つ。
 
[[東京都]][[目黒区]]出身。現在は[[神奈川県]][[茅ヶ崎市]]在住。[[ABO式血液型|血液型]]B型。妻は徳光早苗。1女2男あり、タレントの[[徳光正行]]は次男。[[ミッツ・マングローブ]]は甥にあたる
オフィス ラ・メール所属で、ソニー・ミュージックアーティスツと業務提携している。
 
== 来歴 ==
本名の「德」は徳の旧字体で初期の日本テレビ(一部の記事を除き、以下日テレと略す)『[[ズームイン!!朝!]]』のテロップでもこの表記を使っていたが、現在は通常の「徳」を使用している。愛称は、'''徳さん'''。[[日本プロ野球|プロ野球]]・[[読売ジャイアンツ]]の熱烈なファンで、「巨人親父」とも称される。公の場で感涙することが多く(特に『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]]』)、「かなり涙もろい」キャラクターで知られる。番組開始時の挨拶ではフルネームを言わず「徳光です(でございます)。」と言っている<ref>[[クイズダービー]]の司会をしていた頃は他にも「徳光め」や「徳光ちゃん(とくみっちゃん)」などと挨拶していた。</ref>。
父・[[徳光寿雄]](德光壽雄)は[[映画監督]]でもあり日テレの役員を務め、[[1967年]]には当時赤字経営に苦しんでいた東京12チャンネル(現:[[テレビ東京]])を立て直すべく設立された「科学テレビ協力委員会」の委員となった人物<ref>『[[ファミリーヒストリー]] 徳光和夫〜父は映画監督・驚きのルーツの数々〜』(NHK総合、2013年1月21日 [http://datazoo.jp/tv/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC/618093])</ref><ref>父が日テレ役員、本人が日テレアナ、息子も日テレの番組に出演しているため、親子3代に渡って日テレにも関与している。</ref>。徳光の戸籍上の生年月日が実際の生年月日と異なるのは、厳格な父が「男児が3月3日、[[桃の節句]]の生まれでは格好が悪い」と1週間後で[[陸軍記念日]]の10日生まれにしたためである<ref>当時は軍国主義が強く唱えられた時代で、徳光の生まれた1941年に[[太平洋戦争]]が勃発した。</ref>。自身もフリー転身後、『[[にっぽんの歌]]』などテレビ東京の番組に出演し、次男のタレント・[[徳光正行]]も『[[レディス4]]』の司会に起用され、親子3代に渡ってテレビ東京に関与することとなった。母は[[松屋 (百貨店)|松屋]]のデパートガールだった。弟は英国伊勢丹元社長の[[徳光寿雄#家族・親族|徳光次郎]]。JRA競馬騎手の[[福永洋一]]とは、遠い親戚関係にある<ref>自身が初代司会者を務めた『ズームイン!!朝!』の初日最初のニュースは、前日に起きた福永の落馬事故だった。福永との親戚関係は2013年1月21日放送の[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]『[[ファミリーヒストリー]]』(徳光のルーツを辿った内容)で明らかになった([http://datazoo.jp/tv/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC/618093])。</ref>。2歳下の妹がいたが、和夫が5歳の時に病気で亡くなっている<ref name=shukangendai>[[週刊現代]] 2013年11月16日 66-68ページ『私の地図』</ref>。
 
戦時中は[[福島県]][[田村郡]][[三春町]]の[[法蔵寺 (福島県三春町)|法蔵寺]]に疎開していた
[[東京都]][[目黒区]]出身。現在は[[神奈川県]][[茅ヶ崎市]]在住。[[ABO式血液型|血液型]]B型。1女2男があり、タレントの[[徳光正行]]は次男。[[ミッツ・マングローブ]]は甥にあたる。
 
元々は[[落語家]]志望であった<ref name=shukangendai/>。
== 来歴 ==
=== 出生 ===
父の[[徳光寿雄]](德光壽雄)は[[映画監督]]として業界の活動を始め、その後日テレに開局社員として入社し、[[1967年]]には当時赤字経営に苦しんでいた東京12チャンネル(現:[[テレビ東京]])を立て直すべく設立された「科学テレビ協力委員会」の委員として出向した人物<ref>『[[ファミリーヒストリー]] 徳光和夫〜父は映画監督・驚きのルーツの数々〜』(NHK総合、2013年1月21日 [http://datazoo.jp/tv/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC/618093])</ref><ref>父が日テレ役員、本人が日テレアナ、息子も日テレの番組に出演しているため、親子3代に渡って日テレにも関与している。</ref>。徳光の戸籍上の生年月日が実際の生年月日と異なるのは、厳格な父が「男児が3月3日、[[桃の節句]]の生まれでは格好が悪い」と1週間後で[[陸軍記念日]]の10日生まれにしたためである<ref>当時は軍国主義が強く唱えられた時代で、徳光の生まれた1941年に[[太平洋戦争]]が勃発した。</ref>。
 
元々は[[落語家]]志望で<ref name=shukangendai/>、趣味は[[野球]]観戦と駅伝観戦と[[音楽]]鑑賞と落語鑑賞。中学時代まではプロ野球は[[埼玉西武ライオンズ|西鉄ライオンズ]]、特に[[大下弘]]のファンだった<ref>『[[週刊ベースボール]]』{{いつ|date=2016年9月}}</ref><ref>「[[林真理子]]ゲストコレクション」『[[週刊朝日]]』2007年8月24日号、p.51。</ref>が、私立[[海城中学校・高等学校|海城高等学校]]在学中に、[[長嶋茂雄]]が[[東京六大学野球連盟|東京六大学野球]]新記録(当時)となる[[本塁打]]を放ち<ref name="週刊朝日20070824_p_50">{{cite journal|和書|title=マリコのゲストコレクション|author=林真理子|authorlink=林真理子|journal=週刊朝日|publisher=朝日新聞出版|date=2007-08-24|page=54}}</ref>、嬉しさから小躍りしながら仲間と一緒にベースを回る姿を見て感化され「'''人生の全てを長嶋茂雄に捧げよう'''」と決意<ref>徳光正行・著『せんえつですが…徳光和夫の日常』([[幻冬舎]])『第4章・巨人愛』より。</ref>。長嶋がいた[[立教大学]]の全学部を受験し、辛うじて社会学部に補欠合格した<ref name="週刊朝日20070824_p_50" />。合格した原因は「ヤマを張って集中的に勉強した[[日本書紀]]が、試験に丸々出題されていたから」ということを話している<ref name=shukangendai />。そしてその後、大学卒業後長嶋が入団した巨人のファンとなる。大学では、最初は「長嶋さんが居た[[明治神宮野球場|神宮球場]]で過ごしたい」からという理由で[[応援団]]に入るが、ほとんどグラウンドに背を向けての活動だったため、試合を見られないことに不満を感じていたところ、放送研究会の部員がスタンドの最前列で[[テープレコーダー]]を持って取材などをしているのを見て、楽しそうと思い、放送研究会に転じる<ref name=shukangendai /><ref name="週刊朝日20070824_p_51">{{cite journal|和書|title=マリコのゲストコレクション|author=林真理子|authorlink=林真理子|journal=週刊朝日|publisher=朝日新聞出版|date=2007-08-24|page=51}}</ref>。大学の同期に[[青尾幸]]、[[加賀美幸子]]、[[村田幸子]]、[[土居まさる]]<ref>{{cite journal|和書|title=マリコのゲストコレクション|author=林真理子|authorlink=林真理子|journal=週刊朝日|publisher=朝日新聞出版|date=2007-08-24|page=54}}</ref>、後輩に[[関口宏]]、[[古舘伊知郎]]、[[久保田光彦]]、放送研究会の後輩に[[みのもんた]]がいる。大学4年の時、就職に悩んでいた時期に土居に相談をし、「お前、アナウンサーになればいいじゃないか」とアドバイスを受けアナウンサーになることを決意する。
自身もフリー転身後、『[[にっぽんの歌]]』などテレビ東京の番組に出演し、次男の正行も『[[レディス4]]』の司会に起用され、親子3代に渡ってテレビ東京に関与することとなった。母は[[松屋 (百貨店)|松屋]]のデパートガールだった。弟は英国伊勢丹元社長の[[徳光寿雄#家族・親族|徳光次郎]]。JRA競馬騎手の[[福永洋一]]とは、遠い親戚関係にある<ref>自身が初代司会者を務めた『ズームイン!!朝!』の初日最初のニュースは、前日に起きた福永の落馬事故だった。福永との親戚関係は2013年1月21日放送の[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]『[[ファミリーヒストリー]]』(徳光のルーツを辿った内容)で明らかになった([http://datazoo.jp/tv/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC/618093])。</ref>。2歳下の妹がいたが、和夫が5歳の時に病気で亡くなっている<ref name=shukangendai>[[週刊現代]] 2013年11月16日 66-68ページ『私の地図』</ref>。
 
大学卒業後の[[1963年]]に日テレ入社。同社での同期入社に青尾幸、[[今村倫子小林完吾]]がおり中途入してきたでの同期入社に[[小林完吾露木茂]]、土居まさるらがいる<ref>他局の同期では[[日本放送協会|NHK]]が[[加賀美幸子]]、[[広瀬久美子]]、[[村田幸子]]、[[名取将]]、[[森本毅郎]]、[[吉川精一]]。[[フジテレビジョン|フジテレビ]]が[[岩佐徹]]と[[露木茂]]と[[能村庸一]]。</ref>。著書「企業内自由人のすすめ」によれば、日テレを受験した際、最終選考に残った2人が[[学生運動]]に関与していたことが判明し<ref>日テレは[[中央情報局|アメリカ中央情報局]](CIA)の手先として、開局当初から学生運動や左翼運動を批判する立場を取っていた(詳細は[[中央情報局]]、[[正力マイクロ波事件]]も参照のこと)。</ref>、選考を辞退した影響で徳光が採用された。熱狂的な巨人ファンであったためプロ野球中継の担当にはなれず、[[プロレス中継]]<ref>日テレは[[ジャイアント馬場]]が率いる[[全日本プロレス]]の中継権を持ち、視聴率の高いゴールデンアワーで放映して、看板番組の一つとしていた。</ref>を中心に受け持った。[[ドラマ]]『[[青春とはなんだ]]』にラグビー中継のアナウンサー役で出演したり、[[アニメ]]『[[ルパン三世 (TV第2シリーズ)|ルパン三世]]』第73話「花も嵐も泥棒レース」にて、自動車レースを中継するアナウンサー役(本人の役)で[[声優]]として出演したこともあった。
戦時中は[[福島県]][[田村郡]][[三春町]]の[[法蔵寺 (福島県三春町)|法蔵寺]]に疎開していた。
 
[[1969年]]10月から『[[NTV紅白歌のベストテン]]』の総合司会を務め、人気を得る。
元々は[[落語家]]志望で<ref name=shukangendai/>、趣味は[[野球]]観戦と駅伝観戦と[[音楽]]鑑賞と落語鑑賞。中学時代まではプロ野球は[[埼玉西武ライオンズ|西鉄ライオンズ]]、特に[[大下弘]]のファンだった<ref>『[[週刊ベースボール]]』{{いつ|date=2016年9月}}</ref><ref>「[[林真理子]]ゲストコレクション」『[[週刊朝日]]』2007年8月24日号、p.51。</ref>が、私立[[海城中学校・高等学校|海城高等学校]]在学中に、[[長嶋茂雄]]が[[東京六大学野球連盟|東京六大学野球]]新記録(当時)となる[[本塁打]]を放ち<ref name="週刊朝日20070824_p_50">{{cite journal|和書|title=マリコのゲストコレクション|author=林真理子|authorlink=林真理子|journal=週刊朝日|publisher=朝日新聞出版|date=2007-08-24|page=54}}</ref>、嬉しさから小躍りしながら仲間と一緒にベースを回る姿を見て感化され「'''人生の全てを長嶋茂雄に捧げよう'''」と決意<ref>徳光正行・著『せんえつですが…徳光和夫の日常』([[幻冬舎]])『第4章・巨人愛』より。</ref>。長嶋がいた[[立教大学]]の全学部を受験し、辛うじて社会学部に補欠合格した<ref name="週刊朝日20070824_p_50" />。合格した原因は「ヤマを張って集中的に勉強した[[日本書紀]]が、試験に丸々出題されていたから」ということを話している<ref name=shukangendai />。そしてその後、大学卒業後長嶋が入団した巨人のファンとなる。大学では、最初は「長嶋さんが居た[[明治神宮野球場|神宮球場]]で過ごしたい」からという理由で[[応援団]]に入るが、ほとんどグラウンドに背を向けての活動だったため、試合を見られないことに不満を感じていたところ、放送研究会の部員がスタンドの最前列で[[テープレコーダー]]を持って取材などをしているのを見て、楽しそうと思い、放送研究会に転じる<ref name=shukangendai /><ref name="週刊朝日20070824_p_51">{{cite journal|和書|title=マリコのゲストコレクション|author=林真理子|authorlink=林真理子|journal=週刊朝日|publisher=朝日新聞出版|date=2007-08-24|page=51}}</ref>。大学の同期に[[青尾幸]]、[[加賀美幸子]]、[[村田幸子]]、[[土居まさる]]<ref>{{cite journal|和書|title=マリコのゲストコレクション|author=林真理子|authorlink=林真理子|journal=週刊朝日|publisher=朝日新聞出版|date=2007-08-24|page=54}}</ref>、後輩に[[関口宏]]、[[古舘伊知郎]]、[[久保田光彦]]、放送研究会の後輩に[[みのもんた]]がいる。大学4年の時、就職に悩んでいた時期に土居に相談をし、「お前、アナウンサーになればいいじゃないか」とアドバイスを受けアナウンサーになることを決意する。
 
[[1974年]]10月から『[[底ぬけ脱線ゲーム|新・底ぬけ脱線ゲーム]]』の司会を務め、[[1979年]]3月からの『ズームイン!!朝!』では総合司会を9年間担当。[[1988年]]4月からの『[[NNNニュースプラス1]]』のメインキャスターを務めた。自身に『ニュースプラス1』キャスターとしての白羽の矢が立ったのは「『[[ニュースステーション]]』のおかげで、ニュースそのものが難解な言葉を多用するものから、分かりやすいものに変わっていったことに影響されたのではないだろうか」と話し、「『プラス1』の3年間は世界的にも激動の3年間で、人にものを伝える難しさというものを学んだ」とも話している<ref name=shukangendai/>。[[1989年]]に日テレを退社し、フリーとなる<ref name="週刊朝日20070824_p_51" />。『ズームイン!!朝!』から『NNNニュースプラス1』に担当番組が代わった頃から「俺は[[バラエティ番組]]・[[情報番組]]に慣れていたからニュースキャスターは合わない」と思うようになった<ref>[http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140424-1290185.html],日刊スポーツ,2014年4月24日</ref><ref name=haranbakusho/>、管理職昇進(。加えてアナウンス部副部長昇進オファーあったることに対し、徳光は数字の管理が苦手で「役職が付けば、今まで全くやったことが無い事務的な仕事もしなければいけなくなるだろうし、自分の管理も満足にできない人が、上に立って他人の管理をすることは出来ない。俺は事務職ではなく、現場で生きていきたい」と思ったことなどが日テレ退社・フリー転身のきっかけとなった<ref>『せんえつですが…徳光和夫の日常』154-155ページ</ref>。
=== 日本テレビ入社後 ===
大学卒業後の[[1963年]]に日テレへ入社。同期入社に青尾幸、[[今村倫子]]がおり、中途入社してきた同期に[[小林完吾]]がいる<ref>他局の同期では[[日本放送協会|NHK]]が[[加賀美幸子]]、[[広瀬久美子]]、[[村田幸子]]、[[名取将]]、[[森本毅郎]]、[[吉川精一]]。[[フジテレビジョン|フジテレビ]]が[[岩佐徹]]と[[露木茂]]と[[能村庸一]]。</ref>。著書「企業内自由人のすすめ」によれば、日テレを受験した際、最終選考に残った2人が[[学生運動]]に関与していたことが判明し<ref>日テレは[[中央情報局|アメリカ中央情報局]](CIA)の手先として、開局当初から学生運動や左翼運動を批判する立場を取っていた(詳細は[[中央情報局]]、[[正力マイクロ波事件]]も参照のこと)。</ref>、選考を辞退した影響で徳光が採用された。
 
[[1990年]]以降は『[[クイズダービー]]』、『[[徳光のTVコロンブス]]→[[徳光和夫の情報スピリッツ]]』、『[[THE・サンデー]]→[[TheサンデーNEXT]]』、『[[夜も一生けんめい。|夜も一生けんめい。→夜もヒッパレ一生けんめい]]』、『[[ウェディングベル]]』、『[[世界ウルルン滞在記]]→[[世界ウルルン滞在記2008]]』、『[[速報!歌の大辞テン]]』、『[[幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜]]』、『[[徳光和夫の感動再会"逢いたい"]]』など多くの番組で司会を担当し、さらに[[結婚式]]・[[葬儀|葬式]]の司会でも活躍する。他に[[2005年]]・[[2007年]]の国政選挙施行日のテレビ東京の[[選挙特別番組]]の総合司会を務めた。
主にアナウンサーとして[プロレス中継]]<ref>日テレは[[ジャイアント馬場]]が率いる[[全日本プロレス]]の中継権を持ち、視聴率の高いゴールデンアワーで放映して、看板番組の一つとしていた。</ref>を中心に受け持ち、[[ドラマ]]『[[青春とはなんだ]]』にラグビー中継のアナウンサー役で出演したり、[[アニメ]]『[[ルパン三世 (TV第2シリーズ)|ルパン三世]]』第73話「花も嵐も泥棒レース」にて、自動車レースを中継するアナウンサー役(本人の役)で[[声優]]として出演したこともあった。また、[[1969年]]10月から『[[NTV紅白歌のベストテン]]』の総合司会を務め、人気を得る。
 
*『24時間テレビ』に毎年顔的存在として出演しており、[[1978年]]の第1回から皆勤している唯一の人物である。ただし、1990年から[[1994年]]にかけては同時間帯に他局で生放送のレギュラー番組があり(『徳光のTVコロンブス』)、その時間帯は抜けていた。
[[1974年]]10月から『[[底ぬけ脱線ゲーム|新・底ぬけ脱線ゲーム]]』の司会を務め、[[1979年]]3月から放送開始した『ズームイン!!朝!』では総合司会を9年間担当。[[1988年]]4月からは『[[NNNニュースプラス1]]』のメインキャスターを務めた。自身に『プラス1』キャスターとしての白羽の矢が立ったのは「『[[ニュースステーション]]』のおかげで、ニュースそのものが難解な言葉を多用するものから、分かりやすいものに変わっていったことに影響されたのではないだろうか」と話し、「『プラス1』の3年間は世界的にも激動の3年間で、人にものを伝える難しさというものを学んだ」とも話している<ref name=shukangendai/>。
 
[[2008年]]秋改編で、『THE・サンデー』、『[[オジサンズ11]]』、『[[世界ウルルン滞在記2008]]』が[[打ち切り]]となり、[[2009年]]春改編では、『[[徳光和夫の感動再会"逢いたい"]]』も終了に至り、同時に地上波での司会のレギュラー番組が『[[TheサンデーNEXT]]』のみとなった。ただ、同時期に放送開始した『[[おもいッきりDON!]]』にコメンテーターとして起用された(それから1年後の[[2010年]]春改編で番組が『[[DON!]]』にリニューアルされた後も継続出演)。また、同年の『24時間テレビ32』の放送日が[[第45回衆議院議員総選挙]]と重複し、『24時間テレビ』の出演を優先したため、テレビ東京の選挙特番から降板した。
=== フリー転身後 ===
[[1989年]]に日テレを退社し、フリーとなる<ref name="週刊朝日20070824_p_51" />。『ズームイン』から『プラス1』に担当番組が代わった頃から「俺は[[バラエティ番組]]・[[情報番組]]に慣れていたからニュースキャスターは合わない」と思うようになり<ref>[http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140424-1290185.html],日刊スポーツ,2014年4月24日</ref><ref name=haranbakusho/>、管理職昇進(アナウンス部副部長)の話が挙がることに対し、徳光は数字の管理が苦手で「役職が付けば、今まで全くやったことが無い事務的な仕事もしなければいけなくなるだろうし、自分の管理も満足にできない人が、上に立って他人の管理をすることは出来ない。俺は事務職ではなく、現場で生きていきたい」と思ったことなどがフリー転身のきっかけとなった<ref>『せんえつですが…徳光和夫の日常』154-155ページ</ref>。
 
[[2010年]]からは初のラジオの生放送レギュラー番組なるしては初めて受けもつ『[[徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー]]』([[ニッポン放送]]。アシスタントは[[石川みゆき]])がスタート。当初は約6時間という長丁場を担当し、そ。もともとニッポン放送を好きでよく聴いていたという徳光初のレギュラーでもある。放送時間は縮小され、現在は2時間40分に縮小されたであるが、土曜朝の声として現在も出演中である。
[[1990年]]以降は『[[クイズダービー]]』([TBSテレビ|TBS]])、『[[徳光のTVコロンブス]]』(テレビ東京)を皮切りに各局で多くの番組を担当し、さらに[[結婚式]]の司会等でも活動する。
 
[[2011年]]、古希を迎えた。同年春改編で、自身の地上波レギュラーとなっていた『TheサンデーNEXT』、『DON!』が終了。同時に地上波テレビでのレギュラー番組が一旦消滅した。以後のレギュラー番組はBS番組や[[ラジオ番組]]のみとなっている。同年の『24時間テレビ34』では総合司会を勇退し、チャリティーマラソンのランナーを務めた。史上最高齢ランナー(70歳・従来の最高齢は[[萩本欽一]]の66歳)となる。『24時間テレビ』の総合司会は[[羽鳥慎一]]が引き継いだ。なお、チャリティーマラソンのスタート時に長嶋がサプライズゲスト兼スターターとして登場すると号泣したが、見事翌日の20:44([[日本標準時|JST]])にゴールした。[[2012年]]以降は、総合司会ではなくスペシャルサポーターとして参加している。
[[2010年]]からは、初のラジオの生放送レギュラー番組となる『[[徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー]]』([[ニッポン放送]])がスタート。当初は約6時間という長丁場を担当し、その後放送時間は2時間40分に縮小されたが、現在も出演中である。
 
古希を越えてからも先述の通り、BS番組やラジオ番組のレギュラー番組やゲスト出演番組、[[特別番組]]や『[[AKB48選抜総選挙]]』開票イベントの司会、CM出演等精力的な活動を見せている。
同年の『24時間テレビ34』では総合司会を勇退し、チャリティーマラソンのランナーを務めた。史上最高齢ランナー(70歳・従来の最高齢は[[萩本欽一]]の66歳)となる。『24時間テレビ』の総合司会は[[羽鳥慎一]]が引き継いだ。[[2012年]]以降は、総合司会ではなくスペシャルサポーターとして参加している。
 
2015年4月より4年ぶりに自身がメインのレギュラー番組「[[路線バスで寄り道の旅]]」を受け持つ。
2016年11月24日には[[日本レコードマネジメント]]の40周年記念式典の司会を務めた。
 
2016年11月24日には[[日本レコードマネジメント]]の40周年記念式典の司会を務めた。代表者が徳光と麻雀をやる仲とのことである
 
== エピソード ==
* 愛車は[[日産・シーマ]](F50型)<ref>{{Cite web|url=https://news.ameba.jp/entry/20160124-512|title=木下優樹菜に徳光和夫「運転免許を持っていない」ある事情とは?|publisher=Ameba NEWS|date=2016-01-24|accessdate=2020-03-15}}</ref>だが、本人は[[運転免許]]を持っていない。自動車教習所には通っていたが、指導員と口論をして運転免許取得を辞退した<ref>{{Cite web|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2017/11/19/0010747021.shtml|title=徳光和夫 運転免許持っていない「教官にひじ鉄、足蹴りされて…」|publisher=[[デイリースポーツ]]|date=2017-11-19|accessdate=2020-03-15}}</ref>。
* 大の[[東京箱根間往復大学駅伝競走|箱根駅伝]]好きで、毎年沿道で応援をしている。大会前に独自に入手した選手のデータを手に実況を行うほどの熱の入れようで、今では復路8区の[[茅ヶ崎市|茅ヶ崎]]の名物になっている。この模様は自身が司会を務める『ザ・サンデー』の新年1回目の放送で毎年必ず放送されていた。なお、本人は「あくまでプライベートで応援しているものであり、撮影クルーは勝手に収録している」と語っている<ref>『せんえつですが…徳光和夫の日常』143-144ページ</ref>。
*『24時間テレビ』に毎年顔的存在として出演しており、[[1978年]]の第1回から皆勤している唯一の人物である。ただし、1990年から[[1994年]]にかけては同時間帯に他局で生放送のレギュラー番組があり(『徳光のTVコロンブス』)、その時間帯は抜けていた。
* 紳助とは彼が[[島田紳助・松本竜介|紳助・竜介]]として『ズームイン!!朝!』にゲスト出演した際に初共演を果たしたが、番組内で紳助・竜助の漫才を観た徳光はそれに面白さを感じず、紳助に良い印象を持たなかった。しかし、後に紳助司会の日テレ『[[嗚呼!バラ色の珍生!!]]』にパネラーとして出演したのをきっかけに、紳助と親交を深めるようになった<ref>{{Cite web|url=http://datazoo.jp/tv/24%E6%99%82%E9%96%93%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93/507064/3|title=2011年8月21日放送『24時間テレビ』|publisher=TVでた蔵|date=2011-08-21|accessdate=2014-09-12}}</ref>。紳助の引退後、「政治だろうとスポーツだろうと…全てを笑いの糸で結びつけてしまう才人。話術は絶対かなわない、というふうに思った。引退っていうのは本当に残念でならない」と惜しんだ<ref>[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/08/28/kiji/K20110828001500330.html?feature=related],スポーツニッポン,2011年8月28日</ref>。
* 「自身が結婚式で司会を務めた著名人カップルは、何故か7割が後に[[離婚]]するジンクスがある」と噂された<ref>{{Cite web|url=http://woman.mynavi.jp/article/140830-108/|title=感動重視? 笑い重視? 自分の結婚式で司会をしてほしい芸能人ランキング|publisher=マイナビウーマン|date=2014-08-30|accessdate=2014-09-12}}</ref>。しかし[[2010年]][[12月27日]]放送の[[テレビ朝日]]『中居正広の怪しい本の集まる図書館』でのインタビューにて、司会を務めた夫婦のうち実際に離婚したその離婚率のパーセンテージは番組中で「'''23%'''」(日本における平均は30%)と計算された<ref>{{Cite web|url=http://datazoo.jp/tv/%E4%B8%AD%E5%B1%85%E6%AD%A3%E5%BA%83%E3%81%AE%E6%80%AA%E3%81%97%E3%81%84%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%9B%86%E3%81%BE%E3%82%8B%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8/456472/3|title=2010年12月27日放送『中居正広の怪しい本の集まる図書館』|publisher=TVでた蔵|date=2010-12-27|accessdate=2014-09-12}}</ref>。
* 65歳になった[[2007年]]、年金の申請を行ったところ、[[社会保険庁]]の記録で「死亡扱い」を受けていたことが判明した<ref>{{Cite web | url = http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_06/g2007061405.html | title = 徳光アナ「死んでいた」…年金記録で「死亡扱い」 | website = [[夕刊フジ|ZAKZAK]] | publisher = [[産業経済新聞社|産経デジタル]] | date = 2007-06-14 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20070616200350/http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_06/g2007061405.html | archivedate = 2007-06-16 | accessdate = 2020-03-11 }}</ref>。
* 元[[フジテレビジョン|フジテレビ]]アナウンサーの[[露木茂]]とは、アナウンサー同期且つ大学時代からの友人(自身も同じタイミングでフジテレビの入社試験を受けたが不合格だった)。また、元TBSアナウンサーの[[鈴木史朗]]とは、局アナ時代からの友人であり、『オジサンズ11』で共演した。
* [[羽鳥慎一]]は日本テレビアナウンサー時代晩年期、フリー転身を考え悩んでいた際、彼に相談を持ちかけた([[宮根誠司]]にも相談をしている)。そして羽鳥に対し、「(フリーに転身するならば)今までと同じ自然体でやったらいい」とアドバイスをした。
* 紳助が『徳光和夫の感動再会"逢いたい"』での感涙シーン直後に、他番組<ref>2008年[[7月18日]]放送『[[一攫千金!日本ルー列島]]〜真夏のお台場番組祭り3時間スペシャル!〜新ドラマ&人気芸人が紳助にガチで挑戦するぞSP!!』(フジテレビ)のこと。</ref>において、負けた[[ギャンブル]]の一報に接し豹変したエピソードを語り、「涙は仕事です」と発言したことがある<ref>{{Cite web|url=http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/menscyzo_25Apr2011_6977?p=2|title=徳光和夫に危惧される「燃え尽き症候群」|publisher=楽天WOMAN NEWS|date=2011-04-25|accessdate=2014-09-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140912092336/http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/menscyzo_25Apr2011_6977?p=2|archivedate=2014年9月12日|deadlinkdate=2019年4月}}</ref>。
* 若手時代からプロレス中継を担当していた時期が長く、プロレス関係者との交友も深い。特に[[ジャイアント馬場]]との友誼関係は深かった。[[上田馬之助 (プロレスラー)|上田馬之助]]とは上田の若手時代から親しかったこともあって、上田のことを「馬さん」とその生前には呼んでいた。また日本プロレス時代から実況経験があることから[[アントニオ猪木]]とも接点があり、猪木のことを若手時代の愛称である「寛ちゃん」と呼ぶ<ref>『ジャイアント馬場「甦る16文キック」第2巻』([[小学館]]、2012年、ISBN 9784091042934)に収められた自身のインタビューで確認できる</ref>。スポーツ中継などで、「全国一千万人の○○ファンの皆様、こんばんは」の名文句があるが、これを言ったのは自身による「全国一千万人のプロレスファンの皆様こんばんは」が元祖だった(こういった台詞を最初に披露したのは、徳光の日テレの先輩アナに当たる[[清水一郎 (アナウンサー)|清水一郎]]だったとも言われている)<ref>{{Cite web|url=https://www.sankei.com/sports/news/150523/spo1505230001-n2.html|title=【スポーツ異聞】「スポーツ実況」に元気がなくなってしまった|publisher=[[産経新聞]]|date=2015-05-23|accessdate=2020-03-15}}</ref>。{{要出典範囲|date=2020年3月11日 (水) 02:38 (UTC)|言ったことについては、「ファンはこれぐらい言っておかないと失礼にあたる」といった趣旨から}}
* 好きな食べ物は[[メロンパン]]<ref>{{Cite web|url=https://www.ent-mabui.jp/schedule/29969|title=路線バスで寄り道の旅 テレビ朝日 2015年06月21日(日) 15:25~16:30「甘いものに目がない徳光がメロンパン&あんみつの誘惑にKO!?」|publisher=エンタ魂|date=2015-06-21|accessdate=2020-03-15}}</ref>、[[ぼたもち|おはぎ]]<ref>{{Cite web|url=https://tvfan.kyodo.co.jp/news/5497|title=徳光和夫、「堀北真希ちゃんのおはぎがほしい」 自身のことはさて置き、「巨人はまだ大丈夫」|work=エンタメOVO|publisher=[[共同通信社]]|date=2011-07-14|accessdate=2020-03-15}}</ref>。
* [[美空ひばり]]、[[矢沢永吉]]のファンである<ref>『せんえつですが…徳光和夫の日常』126-128ページ</ref>。アナウンサーになった理由は、巨人戦の実況がしたい他に、ひばりの曲紹介がしたかったからと言う程である<ref>『せんえつですが…徳光和夫の日常』124-125ページ</ref>。
* {{要出典範囲|date=2020年3月11日 (水) 02:38 (UTC)|[[スタジオジブリ]]の作品では、『[[魔女の宅急便 (1989年の映画)|魔女の宅急便]]』が一番のお気に入り}}。
* 他に、映画は『[[男はつらいよ]]』シリーズも好む<ref>『せんえつですが…徳光和夫の日常』130-131ページ</ref>。
* [[痔]]にかなり悩まされていた。息子の正行も「痔が自分たち息子にも遺伝した」と述べている<ref>『せんえつですが…徳光和夫の日常』62-65ページ</ref>。
* 現在(2017年時点)、自身の母校である海城中・高等学校の同窓会組織である「海原会」の同窓会長を務めている。
* 日テレのニュースを降ろされた理由は「国家予算は、5兆円」と言うはずが、「国家予算は、5円」と言ってしまい、「常識が無さすぎる」というものである<ref>{{Cite web|url=https://news.livedoor.com/article/detail/5766838/|title=【Sports Watch】徳光アナ “プロレスは大っ嫌いだった”|publisher=livedoorNEWS|date=2011-08-08|accessdate=2020-03-15}}</ref>。
* 過去にニュースキャスターを担当した際、報道局のスタッフの態度に不満を持っていたという<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/11867553/],トピックニュース,2016年8月9日</ref>
 
=== 巨人ファンとして ===
熱狂的な長嶋茂雄ファン且つ巨人ファンであり、[[芸能人]]野球ファンのはしりである。この「巨人ファン徳光」のキャラクターは、『ズームイン!!朝!』の人気コーナー「プロ野球イレコミ情報」で定着したものであるが、これにより自身の巨人にかかわる言動が取り上げられる機会も少なくない。一方で相手球団に対する問題発言が多く(特にパ・リーグに対して)、他球団ファンからしばしば反感を買っている。
*[[王貞治]]の現役時代最後の本塁打となった868号のバットを所有しており、テレビ東京『[[開運!なんでも鑑定団]]』に出品したことがある。
*[[1980年]]に、長嶋が巨人監督を解任された翌日([[10月22日]])『ズームイン!!朝!』では、巨人球団や[[川上哲治]]への抗議を行い日本テレビの親会社である[[読売新聞社]]が発行する[[讀賣新聞]]や[[報知新聞]]の購読を「辞めます」とった。番組は全国ネットだったため全国に放送された。この抗議は放送開始から26分に渡って行われた。また、その後全国的な読売新聞不買運動が起こったことは有名である<ref>この放送を見ていた長嶋から「もし、徳光さんがどんなことに巻き込まれても私が面倒を見る」と発言し、以来、長嶋との交友が始まっている</ref><ref>『せんえつですが…徳光和夫の日常』101-102ページ</ref>。
*1986年に広島の優勝が決定した際、「巨人の優勝は[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]の第1戦が始まるまであきらめない。だって広島の選手が乗った飛行機が墜落するかもしれないでしょ?」とヒートアップしたところ<ref name="merumo">{{Cite web|url=https://news.livedoor.com/article/detail/14036370/|title=【ショック】超聖人だと思ってたのに! 徳光和夫の噂と問題行為21連発! いい人そうなのに|publisher=めるも|date=2017-12-16|accessdate=2020-03-15}}</ref>、{{要出典範囲|date=2020年3月11日 (水) 02:38 (UTC)|発言の1ヶ月後から[[航空事故の一覧 (1980年から1999年)|大規模な飛行機事故]]が数年に渡り多発。短慮な発言として問題となったことがある}}。
*1989年、広島を破り巨人が優勝した際、[[広島東洋カープ|広島]]ファンの[[久米宏]][[NNNニュースプラス1]]』(11月3日放送分)に生出演させことがある。この時、『[[ニュースステーション]]』の公約に則り、久米は半ば強制的に「読売ジャイアンツ優勝、バンザイ!」と言わされていた<ref>テレビ朝日『[[ニュースステーション]]』の公約によ</ref>
*長嶋と王の監督[[ON砲|ON]]対決に湧いた[[2000年の日本シリーズ]]直前、ダイエー愛弟子である[[藤井将雄]]投手が夭折しているが、「徳光が藤井の死によるダイエーの戦力減少を喜んだ」などと発言した内容が長期に渡り掲載されていたことがある<ref name="merumo"/>。
*2007年刊行『[[巨人軍5000勝の記憶]]』では、巨人在籍経験者以外で唯一「メッセージ」が掲載されている<ref>{{G5000| p.8〜9}}</ref>。
*2013年11月26日に行われた「プロ野球コンベンション2013」で司会を務めたが巨人絡みの選手が出てくると、インタビュアーの質問を遮って、いきなりヨイショな質問やコメントを連発。NPB(日本野球機構)主催のイベントで、特定の球団に肩入れした人物が司会するだけでも批判があったが、そのひいき目がイベントにも露骨に出たことから、出席した球界関係者からは『なんで徳さんに司会やらせるの?』とクレームが殺到した<ref>[http://www.cyzo.com/2013/11/post_15280.html コンベンション司会なのに"巨人偏愛"をゴリ押しする徳光和夫に、球界から大ブーイング!]</ref>。
*2013年12月16日に行われた都内のホテルで行われた有馬記念レセプションパーティーで司会を務めたが、ゲストで元[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]]監督の[[野村克也]]からは「あなた、昔テレビ番組で僕の悪口を言ったそうだな。だから私はあなたが嫌いなんだよ!」とぼやかれ、「年末にこんな仕打ちにあうとは思わなかった」と汗をぬぐった<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20131216-1232336.html 野村克也氏「あなた嫌い」徳光アナに激怒]</ref>。
 
=== 日テレアナウンサー時代 ===
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* [[1983年]]2月から[[1985年]]6月まで、日テレのキャッチフレーズ「おもしろまじめに4チャンネル」のイメージキャラクターを、小林完吾とともに務めた(自身が「おもしろ」、小林が「まじめ」として)。このコンビで局の垣根を超えて『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも]]』の「[[テレフォンショッキング]]」に出演しており(1983年[[4月5日]])、ドラマでも『[[太陽にほえろ!]]』の550話「俺はプロだ!」にて出演している(1983年[[4月1日]])。
* 日テレ時代の同僚である[[福留功男]]とは50年以上の親友関係にあるが、『[[アメリカ横断ウルトラクイズ]]』での役回りから一時期テレビで「犬猿の仲」を演じていたことがあった<ref name="oricon141215">{{Cite web |date=2014-12-15|url=http://www.oricon.co.jp/news/2045943/full/|title=徳光和夫、福留功男に憎まれ口「とくだん好きではない」|publisher=[[オリコン|ORICON STYLE]]|accessdate=2020-03-15}}</ref><ref>現在でも時折テレビ番組の企画などで(時にはさらに後輩でともに『ウルトラクイズ』に関わった[[小倉淳]]も巻き込む形で)福留への口撃を展開することがある。ただしあくまでも本人たちはしゃれとして行っていることが視聴者にはきちんと伝わっておらず、結果として徳光、福留両名に対する根拠のない誹謗中傷につながっている一面があることは否定できない事実である。</ref>。しかし、徳光は「トメはアナデューサーだ」と福留の放送人としての才能を評価している<ref name="oricon141215"/><ref>実際、1991年の『24時間テレビ』、1993年の『ズームイン!!夜!』、[[1998年]]の『今世紀最後!!史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ』、[[1999年]]の『11PM』特番で共演している。</ref>。
* 新人時代、[[都市対抗野球大会|都市対抗野球]]で「鞠が転々と転がりました」と実況したことが上層部の逆鱗に触れたことや<ref name=haranbakusho>{{Cite web|url=http://datazoo.jp/tv/%E8%AA%B0%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%A6%E6%B3%A2%E7%80%BE%E7%88%86%E7%AC%91/676422/2|title=2013年10月20日放送『誰だって波瀾爆笑』(2/3)|publisher=TVでた蔵|date=2013-10-20|accessdate=2014-09-13}}</ref>、大の巨人ファンであったことから贔屓してしまう可能性があると判断されたためプロレス中継の担当に回された。局アナの最後の日である1989年9月30日には東京ドームで開催されたプロ野球「巨人対[[中日ドラゴンズ|中日]]」の中継で実況をしたことで入社以来の念願が叶った<ref>{{Cite web|url=https://tvtopic.goo.ne.jp/program/ntv/45811/1275255/|title=2019年6月28日放送『超問クイズ!真実か?ウソか?』|publisher=gooテレビ番組|accessdate=2019-07-05|date=2019-06-28}}</ref>。
 
=== ギャンブル ===
大の[[ギャンブル]]好きである。特に[[競艇|ボートレース]]が大好きであり、選手の心理状況や家族構成まで調べるくらいに熱中している。日テレ時代に『ズームイン!!朝!』を担当していた時は、番組が終わるとほぼ毎日のように[[平和島競艇場]]に直行していたと言われている。「競馬は遊び、競艇は勝負」が口癖でもあるという<ref name=senetu88>『せんえつですが…徳光和夫の日常』88-90ページ</ref>。{{要出典範囲|date=2020年3月11日 (水) 02:38 (UTC)|アナウンサーを引退したら[[競艇場|ボートレース場]]で[[予想屋]]をやりたいとも語っている}}
* [[競馬]]では大穴狙いが多く、負けて当然と言った馬券の買い方をよくする<ref name=senetu88/>。ウインズ後楽園によく出没する。[[1997年]][[2月17日]]には、[[船橋競馬場]]で当時の[[南関東公営競馬]]史上最高配当記録となる[[投票券 (公営競技)|馬複(馬連)]]20万馬券を的中し、約800万円の払い戻しを受け、大々的に報じられた(この時はウインズ新橋の場外発売で馬券を購入)。その際、徳光の馬券予想コーナーを掲載していた[[スポーツ報知]]では「徳さん万馬券的中」と1面で報じたが、別の[[スポーツ新聞]]は徳光であることに気がつかず、「初老の男性が換金に来た」と報じた。
* [[競輪]]では自宅のある茅ヶ崎に程近い[[平塚競輪場]]を訪れる。[[2007年]]の[[日本選手権競輪]]など、当地でのテレビ中継のゲストに呼ばれたこともある。
* 公営競技以外にも[[麻雀]]も打つ(過去にはストレス解消法として、深夜まで及ぶことがあった<ref name="kateinoigaku">『[[最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学]]』 2008年[[3月11日]]放送分より([http://asahi.co.jp/hospital_old/shinsatsu/080311.html 公式サイト])。</ref>)。
* 2008年[[4月26日]]に酔っ払い、ウインズ銀座で騒ぎを起こしたと、同年[[5月3日]]付の[[東京スポーツ]]で報道された。馬券を買おうと自動発券機にマークシートと紙幣を投入したが、機械のトラブルで発券されず、出走5分前だったため激昂し、係員を呼び付け「どうなってんの!」と大声で怒鳴り散らし、係員が「破れた紙幣が(機械に)詰まっています」と状況を説明すると、「破れたお金なんか入れてないよ!」と詰め寄ったとのこと。
* 2009年4月に映画『[[グラン・トリノ]]』の特別試写会に招かれた際には、自らの理想の死に方として「『これを孫娘に渡してくれ…!』と言って万馬券を持って死ぬ、とかですね、あまりにも高価な万馬券故にショック死をしてしまうとか」と語っている<ref>[https://news.mynavi.jp/news/2009/04/16/011/ 徳光和夫の理想の"最期"は「超高額万馬券を当ててショック死」] - マイコミジャーナル・2009年4月16日</ref>。
 
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なお、2001年の『24時間テレビ24』の司会は、最初と最後を除き、みのもんたが代行をした。
 
発病直前の生活について<ref name="kateinoigaku"/>、
* 週6本のレギュラー番組があり、休みがほとんどなかった。
* [[喫煙|ヘビースモーカー]]で、タバコを1日4箱(80本)吸っていた。
* 魚の肝や魚卵、天ぷらなど脂っこいものが大好き。
なお、アステラス製薬のインターネットサイトのインタビューで、退院間近になり、担当医師に対し「これからタバコの数は減らします」と発言したが、担当医師が「このチーム(治療にあたっていた医師達)解散します」と発言したその時「僕はそのチームによって助けられたんだな。この人達に対してもこれからタバコを吸ったら失礼だ」と思ったとのこと。さらに医師からも「今後タバコを1本でも吸ったら命の保障はありませんよ」と言われ、禁煙することになった。
 
== 親族 ==
*『[[遠くへ行きたい (テレビ番組)|遠くへ行きたい]]』の第2100回記念「僕のご先祖様は[[屯田兵]]」(2012年4月放送)では旅人として北海道を訪ね、その際には[[滝川市]]で長年の念願だった墓参を果たしている。しかし、NHKの『[[ファミリーヒストリー]]』(2013年1月21日放送)で、先祖は元々江差でニシン漁をし、その後現在の[[えりも町]]に移住した[[漁師]]であることが判明した<ref name="famihis">{{Cite web |url=http://datazoo.jp/tv/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC/618093 |title=ファミリーヒストリー|2013/01/21(月)放送 |work=TVでた蔵 |publisher=ワイヤーアクション |accessdate=2015-01-04}}</ref>。
*『ファミリーヒストリー』によると、騎手・[[福永祐一]]の[[高祖父]]、元騎手の[[福永洋一]]の[[曽祖父]]の妹と徳光の祖父の兄が結婚しており、遠い姻戚関係にあるとのことである。また、ジャーナリスト・[[服部誠一]]は母方の曽祖父である<ref name="famihis" />。福永祐一の妻は元[[フジテレビジョン|フジテレビ]]アナウンサーの[[松尾翠]](現・[[ホリプロ]]所属)で、結婚により徳光とは遠縁の親戚となった<ref>同期には[[秋元優里]]([[生田竜聖]]元夫人)、[[本田朋子]]([[五十嵐圭]]夫人)、[[小穴浩司]]がいる。</ref>。
*[[女装家]][[ミッツ・マングローブ]](本名・徳光修平)和夫の甥にあたる。[[サントリー]]「[[BOSS]]」のCMで和夫と甥のミッツが親子役で共演しており、劇中で和夫に平手打ちされるシーンについてミッツは「本当の親にも殴られたことないのに、まさか伯父に殴られるとはね。40歳にもなって」と心境を明かしていた<ref>{{cite web|url=http://natalie.mu/owarai/news/158294|title=コロッケがちあきなおみの「喝采」顔マネ披露、いとうあさこは水着で鯉役|publisher=お笑いナタリー|date=2015-08-27|accessdate=2015-09-23}}</ref>。
 
== 出演 ==