「ジュニア8冠王座」の版間の差分

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'''ジュニア8冠王座'''(ジュニアはちかんおうざ)は、かつて存在した[[プロレス]]の王座。厳密には王座の名称ではなく各プロレス団体の王座を同時戴冠した状態のことである。
 
== 歴史概要 ==
[[1996年]][[6月17日]]、[[日本武道館]]で8つジュニアヘビー級王座によるタイトルマッチが行われた興行「[[THE SKY DIVING-J]]」で全試合終了後に行われた記念撮影で[[新日本プロレス]]の[[獣神サンダー・ライガー]]が提案した8つのジュニアヘビー級王座統一を提案して興行参戦した選手と8つの王座を管理、認定している各プロレス団体が賛同。[[8月2日]]から[[8月5日]]、新日本プロレス[[両国国技館]]で互いのジュニアヘビー級王座を賭けてタイトルマッチが行われるトーナメント戦「'''J-CROWN'''」が開催された(「[[G1 CLIMAX]]」と併催)。
; 参加選手と統一された王座
* 優勝 : [[ザ・グレート・サスケ]]([[みちのくプロレス]]) : [[IWGPジュニアヘビー級王座]]
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* [[ネグロ・カサス]]([[CMLL|EMLL]]) : [[NWA世界ウェルター級王座]](体重制限が82kg以下であるが8つの王座統一期間中は他の王座同様に100kg未満の規定でタイトルマッチが行われていた)
 
[[1997年]][[6月6日]]、WAR[[後楽園ホール]]大会で王者のライガーに[[安良岡裕二]]がインターナショナルジュニアヘビー級王座のみに挑戦して安良岡が勝利したことで以降は'''ジュニア7冠王座'''(ジュニア7かんおうざ)になった。8月、[[WWE|WWF]]からWWF世界ライトヘビー級王座について[[WWE|WWF]]からのクレームを受けた(WWF世界ライトヘビー級王座は[[ビンス・マクマホン・シニア]]が社長を務めていた頃に作られた王座でWWFはWWF世界ライトヘビー級王座が作られたため認定していなかった)。[[11月2日]]、新日本プロレス[[福岡ドーム]]大会で王者の大谷が[[ワイルド・ペガサス]]とのタイトルマッチを最後に7つの王座は解体されてチャンピオンベルトは各プロレス団体に戻った。
 
== 歴代王者 ==
<center>
=== ジュニア8冠王座 ===
{| classborder="wikitable1" cellpadding="1"
|- bgcolor="#ccccff"
!|'''歴代'''
!選手
=== |'''ジュニア8冠王座 ==='''
!|'''防衛回数'''
!獲得日付
!|'''獲得場所日付'''
!|'''獲得場所'''
|-
|初代
42 ⟶ 43行目:
|1997年1月4日
|[[東京ドーム]]
|}-
|- bgcolor="#ccccff"
 
!|'''歴代'''
=== |'''ジュニア7冠王座 ==='''
{| class="wikitable"
!|'''防衛回数'''
!歴代
!|'''獲得日付'''
!選手
|'''獲得場所'''
!防衛回数
!獲得日付
!獲得場所
|-
|初代
64 ⟶ 63行目:
|[[ナゴヤドーム]]
|}
</center>
 
{{DEFAULTSORT:しゆにあはちかんおうさ}}
[[Category:プロレスのジュニアヘビー級王座]]
[[Category:新日本プロレスの王座|封印しゆにあはちかんおうさ]]
[[Category:WARの王座]]
[[Category:NWAの王座]]
[[Category:UWAの王座]]
[[Category:封印されたプロレスの王座]]
[[Category:名数8|しゆにあかんおうさ]]