「三笠宮崇仁親王」の版間の差分

2人の兄である秩父宮と高松宮は子どもをもうけることのないまま薨去したのに対し、三笠宮は長兄である昭和天皇(2男5女:7人の皇子女)同様に多くの子どもに恵まれた。しかし、敗戦後は、発足の遅かった三笠宮家は秩父宮・高松宮両家よりも資産に恵まれないなかで多くの子を育てざるを得ず、皇族としての格式を保つには苦心があった。
 
三笠宮の子孫は女性の比率が高い。他家に嫁ぎ民間人となった2人の皇族外の息女に産まれた孫は4人中3人が男性であるが、3人の親王のうち結婚した2人と各親王妃との間に生まれた計5人の子は皆女子であり、男子の孫は1人も生まれることなく、皇族の身分を有する者は女性のみで、現行制度では三笠宮家を継承する資格がない。その上、第三男子・高円宮憲仁親王が2002年(平成14年)に[[心室細動]]による[[心不全|急性心不全]]で薨去。長年にわたり[[悪性腫瘍|癌]]を患っていた第一男子・寛仁親王も2012年(平成24年)に[[多臓器不全]]で薨去。さらに第二男子・桂宮宜仁親王も2014年(平成26年)に急性心不全で薨去し、三笠宮は自身よりも若年の男子3人全員に先立たれる不幸に見舞われた。そして2016年(平成28年)に三笠宮自身も薨去し、将来的な三笠宮家の廃絶百合子妃確定し当主となった。
 
薨去の時点で孫が9人(うち皇族女子3人、婚姻により皇籍を離脱した女子2人)、曾孫が3人いた(3人とも最年長の孫[[近衞忠大]]の子)。
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