「ピアス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m 「日本独特の和製英語」→「和製英語」※日本独特で無い和製英語は無いでしょう
m 出典外部リンクのタイトル付け 「けつ状耳飾のはなし」 https://www.rekihaku.city.yokohama.jp/maibun/knowledge/detail.php?seq=27
14行目:
耳へのピアスは、[[インダス文明|インド]]、[[エジプト先王朝時代|エジプト]]などの古代文明に、人類が装飾品で身体を飾る際に耳への装飾も行ったことに始まる。当時の金工技術は高度で、輪状の金属製の耳飾りが一般的であった。この耳飾りは耳に開けた穴に取り付けられ、ピアスの原型となった。
 
日本においてはそれより早い[[縄文時代]]早期末(紀元前6500年頃)からピアスが着用されたとされている。主として骨製であり、円の一部を欠いた形で「玦状(けつじょう)耳飾り」と呼ばれる<ref>{{Cite web|url=https://www.rekihaku.city.yokohama.jp/maibun/knowledge/detail.php?seq=27|title=https://www.rekihaku.city.yokohama.jp/maibun/knowledge/detail.php?seq=27けつ状耳飾のはなし|accessdate=2018-10-31|website=www.rekihaku.city.yokohama.jp公益財団法人[[横浜市ふるさと歴史財団]][[埋蔵文化財センター (横浜市)|埋蔵文化財センター]]|languagework=jaためになる?豆知識}}</ref>。縄文時代中期ころより土製のピアスが作られるようになった。ピアスをつけているとされる[[土偶]]も出土している<ref>{{Cite news|title=[ID:16] 土偶 : 資料情報 {{!}} 市原電脳博物館 {{!}} 市原市埋蔵文化財調査センター|url=https://jmapps.ne.jp/iom/det.html?data_id=16|accessdate=2018-10-31|language=ja-JP|work=市原市埋蔵文化財調査センター - 市原電脳博物館}}</ref>。耳部分に穴の開いている土偶も存在するが、これについては耳の穴とも、ピアスホールとも言われる。縄文時代晩期終末(紀元前2500年)~[[弥生時代]]にはピアスはほとんど出土しない<ref name=":2">{{Cite journal |和書|author=上田薫 |url=http://id.nii.ac.jp/1461/00000072/|title=古墳時代の耳飾り|volume=5 |pages= 105-110 |journal=杉野服飾大学・杉野服飾大学短期大学部紀要 |publisher=杉野服飾大学・杉野服飾大学短期大学部 |accessdate=2018年11月1日}}</ref>。古墳時代になると金属製のピアスが出土されるようになる。また、この時代に作られた[[埴輪]]から男女を問わずピアスをしていたことが分かる<ref name=":2" />。千葉県の殿塚古墳から出土 した人物埴輪の両耳には上下にそれぞれ2つの穴が開いており、少なくとも下の1つはピアスホールであったと考えられる<ref name=":2" />。飛鳥時代を最後に、明治時代まで日本本土ではピアスは姿を消す。[[大宝律令]](701年)によって身分による衣服の違いが明確になったためにピアスなどの装飾品で身分を示す必要がなくなったからとも<ref name=":2" />、「身体髪皮膚之を父母に受く。敢て毀傷せざるは、孝の始めなり。」という[[儒教]]の孝経の影響だとも<ref>{{Cite news|title=ピアスの歴史は数千年?起源からファッション文化に至るまで|date=2018-05-18|url=http://micha.jp/earrings/pierced-history|accessdate=2018-10-31|language=ja|work=MICHA}}</ref>いわれる。
 
アイヌ民族は江戸時代末期までニンカリと呼ばれる[[真鍮]]製のピアスを男女問わず付けていた<ref>{{Cite web|url=http://www.ainu-museum.or.jp/nyumon/siryo/kiru.htm|title=アイヌ民族博物館 しらおいポロトコタン 着る・装う|accessdate=2018-10-31|website=www.ainu-museum.or.jp|language=ja}}</ref>。