「ジェラルド・ゴルドー」の版間の差分

1993年11月12日、当時は異色の新興格闘技団体だった[[UFC 1]]に参戦する。当時ゴルドーは[[サバット]]のヨーロッパチャンピオンであり、見栄えするサバットのビデオだけ送られたUFC関係者はゴルドーをキックだけの選手だと勘違いしていた。当時は[[インターネット]]も[[ウィキペディア]]も存在しないため、このような勘違いは無理からぬことであったが、サバットのルール上つま先でチョンと蹴るだけの選手だろうと勘違いして与やすしと考えた関係者は当初大本命のホイス・グレイシーと1回戦を組んだが、後にリングスに参戦していた有名な選手であることをしると関係者はホイスと反対のブロックにエントリーされるようにトーナメントを組み直した<ref name="kaimoge"/>。
 
UFC 1のトーナメント1回戦では[[テイラ・トゥリ]](元幕下力士・[[テイラ・トゥリ|高見州]])と対戦。トゥリの突進をリング際でいなすと、バランスを崩し転んだトゥリの顔面へ躊躇なく[[サッカーボールキック]]を叩き込み、戦意喪失し座り込んだところを素手で顔面を殴るというKO勝利を収める<ref>当時のUFCはグローブの着用が義務付けられておらず、グラウンド状態の相手への蹴りも禁止されていなかった。</ref>。試合後の検査でトゥリは顔面骨折が判明、ゴルドーの足の甲には折れたトゥリの歯が突き刺さっていたという。この一連の攻撃によりゴルドー自身も右手と右足の甲を骨折する。その後ゴルドーは決勝に進出、[[ホイス・グレイシー]]と対戦。しかしこの試合中、ゴルドーは[[裸絞|チョークスリーパー]]を狙うホイスの腕に噛みつくという蛮行に出る。ホイスはこの行為に激怒し、レフェリーストップ後もゴルドーを絞め続けた。
 
ほぼノールールであったUFC 1は当のゴルドーすらも危険だから開催するべきでなかったと否定的に語るほどであったが、規定に無かったレフェリーストップをレフィリーの裁定で行ったことに関しては「正しい」と評価している。ゴルドーはこの大会で決勝まで進出して6万ドルのファイトマネーを獲得したが、危険な割に安いファイトマネーだけしか支払われなかった自分を尻目に[[ペイ・パー・ビュー]]で荒稼ぎした[[UFC]]に腹が立ち、[[UFC 2]]のオファーは断った。主催者の[[アート・デイビー]]は初期UFCについての本を発売したがゴルドーには最初献本すらせず、ゴルドーがせがんだらようやく1冊くれたという。ただし、デイビーとの関係は悪くないといい、UFC 2へのオファーを断った後も、バウンサー時代からの旧知の中であったフレッド・ハマカーをデイビーに選手として紹介し、他にもレムコ・パトゥールも紹介した。そんなゴルドーは極真の技術と魂を持ってUFC 1を戦い、UFCを宣伝した自分に全く触れないUFCに対して「UFCの歴史を軽んじている」「日本人はモンゴル出身横綱が続々登場してからも、初の外国出身横綱の[[曙太郎|曙]]は覚えているだろう?」と不満を持っている<ref name="kaimoge"/>。