「山本登 (経済学者)」の版間の差分

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[[東京都]][[大田区]]生まれ。
 
幼稚舎、[[慶應義塾普通部]]を経て、[[1929年]](昭和4年)に[[慶應義塾大学大学院経済学研究科・経済学部|慶應義塾大学[[経済学部]][[予科]]入学。[[統計学者]]の[[寺尾琢磨]]に師事。
 
1935年3月に同大学を卒業すると、翌月から慶應義塾大学経済学部助手を経て、[[東南アジア]]学及び[[植民政策学]]、[[世界経済論]]を講義。[[ジャワ]]軍政監部調査部調査室主査となり、第二次世界大戦中は南洋経済・南方経済の研究に着手。[[大日本拓殖学会]]などに頻繁に論文を掲載し、[[開発経済学]]を研究した。[[英修道]]、[[板垣与一]]、[[川野重任]]、[[石川滋]]、[[衛藤瀋吉]]、[[矢内原勝]]らは同志で、戦後は[[アジア研究所]]創設に尽力。その他、[[創価大学]]でも教鞭をとった。