「東郷茂徳」の版間の差分

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[[萩原延壽]]『東郷茂徳 伝記と解説』によれば、茂徳は1882年12月10日に「朴茂徳」として[[鹿児島県]][[日置郡]][[苗代川村]]で生まれた<ref name="hagip27">萩原、2005年、p.27</ref>。苗代川は、[[豊臣秀吉]]の[[文禄・慶長の役]]の際に捕虜になり[[島津義弘]]の帰国に同行させられた朝鮮人陶工の一部が、[[薩摩藩]]によって集められて形成された集落であった<ref>萩原、2005年、pp.13 - 15</ref>。薩摩藩は苗代川の住民に対して、朝鮮の風俗を保持すること、日本名の使用禁止、他所との通婚の規制を命じる一方、他所の人間からの「乱暴狼藉」に対しては厳罰を課すなど、保護・統制が一体化した政策を取った<ref name="hagip14">萩原、2005年、pp.14 - 17</ref>。苗代川の住民の多くは「[[郷士#薩摩郷士(薩摩藩)|郷士]]」よりも下の地位に位置づけられたが、前記の保護ともあわせて手厚く遇された<ref name="hagip14"/>。しかし、[[明治維新]]後の[[壬申戸籍]]では「[[平民]]」とされ、1880年には苗代川の男子364人の連名で「士籍編入之願」が[[鹿児島県庁]]に提出された<ref>萩原、2005年、pp.22 - 25</ref>。この364人の中には、祖父・[[朴伊駒]]も名を連ねていた<ref name="hagip27"/>。しかし、[[士族]]への編入は1885年の最後の請願まで却下され続けた<ref name="hagip27"/>。その翌年にあたる1886年、朴家は東郷を名乗る士族の家禄を購入してその戸籍に入り、9月6日付で当時満4歳まであと3ヶ月だった茂徳は「東郷茂徳」となった<ref name="hagip28">萩原、2005年、pp.28 - 29</ref>。なお、鹿児島では「東郷」姓はありふれたもので、朴家が入籍した東郷家は[[東郷平八郎]]とは無関係である<ref name="hagip28"/>。茂徳の父・壽勝は陶工ではなかったものの、雇った陶工の作った作品を[[横浜市|横浜]]の外国人など県外に向けて販売し、財を築いたという<ref>萩原、2005年、p.30</ref>。
 
鹿児島県尋常中学校(現・[[鹿児島県立鶴丸高等学校]])から1901年9月に、新設されたばかりの旧制[[第七高等学校造士館 (旧制)|第七高等学校造士館]](現・[[鹿児島大学]])に進学<ref>萩原、2005年、p.33</ref>。ちなみに同じ鈴木内閣の[[農林大臣|農相]]だった[[石黒忠篤]]とは高校時代以来の親友だった。そこに赴任していた[[片山正雄]]に師事したことがきっかけで、東郷は[[ドイツ文学]]への理解を深めていった<ref>萩原、pp.36 - 37</ref>。これに前後して、2年生の時に父の強い反対を押し切り、文科大学志望を明確にした<ref>萩原、2005年、p.36。父は法科大学への進学と将来の[[内務省 (日本)|内務省]]入省、[[都道府県知事|県知事]]就任を望んでいた。</ref>。1904年9月、東郷は[[東京大学大学院人文社会系研究科・文学部|東京帝国大学文科大学]]独逸文学科に進学し、また東郷の師の片山も[[学習院大学]]教授として赴任<ref name="hagip38">萩原、2005年、p.38</ref>。片山は、自らの師で[[ドイツ文学者]]の[[登張信一郎]]を東郷に紹介し、三人で「三代会」を結成した<ref name="hagip38"/>。
 
[[1905年]](明治38年)5月、大学の文芸雑誌『帝国文学』臨時増刊第二「シルレル記念号」に、[[フリードリヒ・フォン・シラー]]作『戯曲{{仮リンク|マリア・スチュアルト|de|Maria Stuart (Drama)}}』(マリア・スチュアルトは[[スコットランド王国|スコットランド]]女王[[メアリー (スコットランド女王)|メアリー・ステュアート]]のこと)を題材とした文芸批評が掲載された<ref>萩原、pp.39 - 41</ref>。これは東郷の唯一の文芸批評である。また、翌年1月に片山が著した『男女と天才』に登張とともに序文を寄せ、この時に初めて「青楓」の雅号を用いている<ref>萩原、2005年、p.42</ref>。東大時代の前半は登張の影響でドイツ文学者を志していた。
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*[[岡崎久彦]]『重光・東郷とその時代』[[PHP研究所]]、2001年6月/PHP文庫、2003年9月。ISBN 456961664X
*[[小林よしのり]] 『いわゆるA級戦犯』[[幻冬舎]]、2006年、ISBN 4344011910
*[[佐道明広]]『人物で読む現代日本外交史―[[近衛文麿]]から[[小泉純一郎]]まで』[[吉川弘文館]]、2008年 ISBN 978-4642079983
*竹内修司『幻の終戦工作-ピースフィラーズ1945夏』[[文春新書]]、2005年。ISBN 4166604546
*[[東郷いせ]]『色無花火 東郷茂徳の娘が語る「昭和」の記憶』 [[六興出版]]、1991年。ISBN 4845371812
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*[[長谷川毅]]『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』[[中公文庫]](上下)、2011年。上巻:ISBN 978-4122055124/下巻:ISBN 978-4122055131
*[[下村海南]]『終戦秘史』 [[講談社学術文庫]](新版)、1985年。ISBN 4061587005
*[[藤田尚徳]] 『[[侍従長]]の回想』 [[講談社]]、1961年。{{全国書誌番号|61011477}}、{{NCID|BN08537931}}。[[中公文庫]] 1987年、[[講談社学術文庫]]、2015年
*[[細川護貞]] 『細川日記』 [[中央公論社]]、1978年。{{全国書誌番号|78026456}}、{{NCID|BN00374017}}。中公文庫(上下)、新版2002年
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