「フランツ・カフカ」の版間の差分
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m →生活: 路地や建物に知悉していた。→路地や建物を知悉していた。 |
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=== 生活 ===
カフカは就職した後も長い間、両親の家を生活の場としていた。勤めは8時から14時までで、仮眠を挟んで夜の時間を小説の執筆に当てている{{efn|カフカは勤めについてから手製の時間割を作り、かなり長い間これを守り通していた<ref>池内『カフカの生涯』、213頁。</ref>。}}。食事は健康を考えて菜食主義を摂り、両親と共に食事をする際には心配する母親を気遣って少量の肉を口にしたものの、それ以外はパンや野菜、果物を中心とした食事を摂っていた<ref>池内「カフカ文学をめぐる十二章 健康法」 『カフカ事典』、42頁、池内『カフカの生涯』、215頁</ref>。また、体操、散歩を日課にし、時にはマックス・ブロートと連れ立ってプラハの町を歩いて回り、この街の路地や建物
[[ファイル:Praha, Staré Město, Dlouhá třída, zástavba II.jpg|thumb|カフカが1915年3月から部屋を借りていた「金のカワカマス館」。1917年まで、ここで一人で住んだが、現存するカフカの作品の内、この部屋で書かれたものはほとんどない<ref>ヴァーゲンバッハ[2003]、61頁-63頁</ref>。]]
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