「江川事件」の版間の差分

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== 1978年オフの選手契約 ==
=== クラウンの身売り ===
1978年[[10月12日]]、クラウンライター・ライオンズの運営会社である[[福岡野球|福岡野球株式会社]]は[[国土計画]]に球団の経営権を譲渡し球団名を「西武ライオンズ」に改め、本拠地を福岡県の平和台球場から、同社が現在埼玉県所沢市に建設中の新球場に移転することを発表。球団のオーナーに就任し西武グループの総帥であった[[堤義明]]は、先代の[[堤康次郎]]時代からの[[番頭]]格であった[[宮内巌]]を球団社長に任命。宮内は11月12日に渡米し、江川とロサンゼルスにて入団交渉を行ったが、江川の翻意はなかった。西武は[[11月20日]]、池袋の球団事務所にて午後5時より記者会見し、宮内は「江川君とロスで直接交渉したとき、巨人入りの意思が想像以上に強固なものと感じとった。」として、江川の獲得を断念したと正式に発表<ref>報知新聞1978年11月21日2面「<西武> 江川獲得ついに断念 宮内社長 無念の心情語る」</ref>。11月21日午前0時、西武は江川との交渉権を喪失した。江川は11月2122日開催のドラフト会議の対象選手として再度指名を待つ身となった。
 
=== 空白の一日 ===
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