「春日神社 (練馬区)」の版間の差分

関連文献+ 新編武蔵風土記稿
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(関連文献+ 新編武蔵風土記稿)
* [[鎌倉時代]] - 工藤祐宗([[工藤祐経]]の孫)が、[[源頼朝]]に従って[[奥州合戦]]に向かう途中、自分の先祖の[[藤原氏]]の氏神である[[春日大社]]の祭神をここに[[分霊|勧請]]して、戦勝を祈願したのにはじまるという。
* [[文明 (日本)|文明]]年間([[1469年]]-[[1486年]]) - [[練馬城]]主の[[豊島泰経]]は、一族の守護神として当社を深く崇敬した。[[豊島氏]]没落後、あとの城主[[海老名左近]]はここを居館の一部とした。
* [[江戸時代]] - 十羅刹女(じゅうらせつにょ)社と呼んでいた{{efn|『[[新編武蔵風土記稿]]』上練馬村に、「十羅刹女社」の記述がある{{sfn|新編武蔵風土記稿 上練馬村}}。}}
* [[明治]] - [[神仏分離]]で、十羅刹女社は隣の[[寿福寺 (練馬区)|寿福寺]]へ、祭神は春日神社として祭られた。
 
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連文献 ==
* {{cite book|和書|title=新編武蔵風土記稿|volume=巻ノ13豊島郡ノ5|chapter=上練馬村|id={{NDLJP|763977/48}}|publisher=内務省地理局|date=1884-6|ref={{sfnref|新編武蔵風土記稿 上練馬村}}}}
 
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