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== 現存機 ==
;日本
; 十和田湖の墜落機
[[ファイル:立川 キ54 一式双発高等練習機.jpg|thumb|'''一式双発高等練習機'''(キ54)2014年5月撮影]]
2012年に[[青森県]]/[[秋田県]]の[[十和田湖]]から引き揚げられた機体は、[[青森県立三沢航空科学館]]に展示され、2012年11月1日から一般公開されている<ref>{{Cite news | url = http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2012/20121101135000.asp?fsn=eb33f76037153e93cde084f7e7644d6f | title = 旧陸軍機の一般公開始まる | newspaper = [[東奥日報]] | date = 2012-11-01 | accessdate = 2012-11-03 }}</ref><ref>{{Cite news | url = http://www.kahoku.co.jp/news/2012/11/20121103t25006.htm | title = 時超えた翼感慨誘う 引き揚げた旧陸軍機の公開始まる | newspaper = [[河北新報]] | date = 2012-11-03 | accessdate = 2012-11-03 }}</ref>。
[[2010年]](平成22年)8月、[[青森県]]/[[秋田県]]の[[十和田湖]]湖底の地形調査を行っている株式会社ウインディーネットワーク http://www.3d-survey.jp/index.html によって、本機とみられる航空機が沈んでいるのを確認したとの報道があった。1943年9月27日に同湖に墜落した北部第74部隊([[北方軍]]指揮下の内地部隊の[[通称号]])所属の機体とみられている。墜落当時、乗員4名([[少年航空兵|少年飛行兵]]3名と教官役の[[整備兵]]1名)のうち少年兵1名が、たまたま湖に漁に出ていた近くの旅館主(翌年に[[召集]]され[[シベリア抑留]]生活で亡くなった)に救出されホテルへ送り届けられた。墜落地点は最も水深の深い「中湖」で、漁をしていた場所から20分程度要するため到着した時には既に機体は沈み全員の救出は困難だった。現代になって当時13歳で墜落の一部始終を目撃した旅館主の息子が宿泊中の地形調査会社の者に墜落地点などを詳しく話したところ探索が開始され機体を発見した。機体の引き上げに関して話し合いを進めていた<ref>[[テレビ朝日]]『[[スーパーモーニング]]』2010年8月13日放送、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]『[[情報ライブ ミヤネ屋]]』2010年8月17日放送{{出典無効|date=2012-11-03}}</ref>が、国の同意を得られたことから有志による引き揚げを2011年3月より行い、その時は失敗したものの2012年8月24日より再度引き揚げに挑戦し、9月5日に引き揚げられた<ref>[http://sankei.jp.msn.com/life/news/120905/trd12090518550009-n1.htm 旧陸軍機、69年ぶり地上へ 青森・十和田湖で引き揚げ]([[産経新聞]]、2012年9月5日)</ref>。
 
この機体は1943年9月27日に不時着深300m強した飛行第38戦隊所属機で<ref>[http://www.aero.or.jp/isan/heritage/aviation-heritage-ki54-detail.htm 財団法人日本航空協会 航空遺産継承基金 重要航空遺産 一式双発高等練習機 解説]</ref>、2010年に海洋調査会社[[ウインディーネットワーク]]が発見した<ref>[http://www.3d-survey.jp/conduct/towada.html ウインディーネットワーク海洋調査部 | 学術調査 十和田湖湖底調査 |]</ref>。機体が着底しており、いた湖底は年間を通し水温4~5℃かつ[[淡水]]のため機体の腐食は少なく、また[[垂直尾翼]]の[[陸軍飛行戦隊#部隊マーク|飛行部隊マーク]]や胴体の[[国籍標識]]([[ラウンデル]])の[[日章]]など、当時の塗装も残っている。当機は[[青森県航空協会]]らによって引き揚げられた後<ref>[httphttps://wwwweb.yomiuriarchive.coorg/web/20120907025859/http://sankei.jp.msn.com/nationallife/news/20100813120905/trd12090518550009-OYT1T00773n1.htm 旧陸軍練習機、69年ぶり地上へ 青森・十和田湖で発見…戦時中に墜落:社会引き揚げ - MSN産経ニュース]</ref>、機体は三沢航空科学館に展示され、搭載していたエンジン1基は製造した[[日立航空機]]の後継企業の一つである[[日野自動車]]が復元し、[[日野オートプラザ]]で展示している<ref>[https://www.grandprix-book.jp/gpmb/2013/08/post-26.html YOMIURI日野オートプラザで、「天風」エンジンを展示 ONLINE(読売新聞)- グランプリ・モーター・ブログ]</ref>。
 
;中国
機体は、[[青森県立三沢航空科学館]]に展示され、2012年11月1日から一般公開されている<ref>{{Cite news | url = http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2012/20121101135000.asp?fsn=eb33f76037153e93cde084f7e7644d6f | title = 旧陸軍機の一般公開始まる | newspaper = [[東奥日報]] | date = 2012-11-01 | accessdate = 2012-11-03 }}</ref><ref>{{Cite news | url = http://www.kahoku.co.jp/news/2012/11/20121103t25006.htm | title = 時超えた翼感慨誘う 引き揚げた旧陸軍機の公開始まる | newspaper = [[河北新報]] | date = 2012-11-03 | accessdate = 2012-11-03 }}</ref>。
[[北京航空航天大学]]内の[[北京航空館]]にて存在が確認されている<ref>[http://ki43.on.coocan.jp/oversea/koukan/koukan.html 北京航空航天大学・北京航空館]</ref>。
 
;オーストラリア戦争記念館所蔵機
その後、[[東京瓦斯電気工業]]の本本機搭載エンジン「天風」は、左翼エンジンが[[日野自動車]]により補修され、2013年8月より八王子市にある同社資料館「[[日野オートプラザ]]」で展示が始まった<ref>{{Cite news | url = http://www.yomiuri.co.jp/atcars/news/20130818-OYT8T00473.htm | title = 日野自動車が旧陸軍機エンジン展示 | newspaper = [[読売新聞]] | date = 2013-08-18 | accessdate = 2013-08-18 }}</ref>。
 
;オーストラリア戦争記念館所蔵機
[[File:Ki-54 fuselage at the Treloar Technology Centre Sept 2012.JPG|thumb|150px|2012年9月撮影]]
上記の機体とは別に、オースト[[キャンベリア]][[オーストラリア戦争記念館所蔵]]が機体胴体部を所蔵している
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