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[[Image:Paul Vidal Blache.jpg|thumb|250px|ヴィダル・ドゥ・ラ・ブラーシュ]]
 
'''ポール・ヴィダル・ドゥ・ラ・ブラーシュ'''('''Paul Vidal de la Blache''', [[1845年]][[1月22日]]-[[1918年]][[4月5日]])は、[[フランス]]の[[地理学者]]。フランスにおける近代[[地理学]]の父であり、[[フランス地理学派]](Ecole francaise de geographiegéographie)の創設者である。地理学的現象における歴史性を重視する立場を唱えて、[[人間]]と[[環境]]との関係を重視し、地誌研究を重視するフランス地理学の伝統の礎を築いた。[[環境可能論]]の立場を表明した事でも知られる。地理学に触れる上で欠かす事の出来ない人物である。なお、ヴィダル・ドゥ・ラ・ブラーシュで一つの姓である。同じフランスの地理学者[[エマニュエル・ドゥ・マルトンヌ]]は、娘婿にあたる。