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紆余曲折の後、戻ってきた史進は少華山の頭領となる。その後、梁山泊入りした[[魯智深]]が史進を迎えるべく到来するが、史進は華州の賀太守によって捕らえられており、魯智深もまた捕らえられてしまった。その後、梁山泊から派遣された救援軍により二人は救い出され、それとともに少華山の朱武・陳達・楊春もともに梁山泊入りすることとなった。
 
梁山泊に入った後、朱武は軍師である[[呉用]]・[[公孫勝]]を補佐し、機密を司る軍務担当の一員、いわば副軍師としての役割を担い、公孫勝が離脱した後の[[方 (水滸伝)|方臘]]との戦いではその後を襲うかたちで正軍師的役割を担う。どちらかというと細かい策略を用いる呉用に対し、陣形の知識にたけた朱武は軍を動かす時の用兵術を期待されたが、敵の陣形を見破ることはできるものの、実際の攻略においてはそれほど知識が役に立っていないなど、軍師としての役割は呉用に若干劣る。
 
[[方臘 (水滸伝)|方臘]]の乱を平定後、梁山泊軍の解体の後は、いったん武奕郎・都統領の任を授かるが、官職を捨てて[[樊瑞]]に道術を学び、後に公孫勝に弟子入りした。