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[[群馬県]][[前橋市]]出身。[[日本大学第二高等学校]]、[[武蔵大学]][[経済学部]]卒業。[[東京都]][[世田谷区]][[梅丘]]在住。
 
1982年にレースデビュー。その後、当時レーシングチームを経営していた[[チェッカーモータース]]の[[兼子眞]]に見出され、[[富士グランチャンピオンレース]](富士GC)などに参戦。1987年からは[[全日本F3000選手権]]に出場。1989年には[[マツダ]]と[[ワークス・チーム|ワークス]]契約を結び、全日本F3000に加えて[[全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権]](JSPC)などにも出場する。1990年には篤子夫人と結婚。1991年、マツダとのワークス契約終了。
 
1993年から1996年まで[[ル・マン24時間レース]]にイギリス・シンプソンチームから[[フェラーリ]][[348|フェラーリ・348|348LM]]で出場。日本人ではじめてのル・マンでのフェラーリドライバーとなった。1995年からはフェラーリの準ワークスチーム的存在のフェラーリ・クラブ・イタリア・チームからフェラーリ・F40GTEで出場。これによるフェラーリ社との関係により、日本国内で開催されるフェラーリの[[ワンメイクレース]]「フェラーリ・チャレンジレース」の講師や、[[全日本GT選手権]](JGTC)に参戦する[[フェラーリ・F40]]のドライバーを務めることとなった。
 
1993年から「[[ティーポ]]」([[ネコ・パブリッシング]])を初めとする[[自動車雑誌]]への寄稿を開始、1995年からは[[日本カー・オブ・ザ・イヤー]]の選考委員となるなど、モータージャーナリストとしても活動した。
 
1997年フェラーリインポーターの「コーンズ」とフェラーリ・クラブ・オブ・ジャパン支援の下、チーム・フェラーリ・クラブ・オブ・ジャパンの代表に指名され、[[フェラーリ・F355|フェラーリ・F355GT]]を新規に自社製作、自らもステアリングを握り、全日本GT選手権JGTC GT300に参戦。初戦は最後尾からのスタートだったが、最後のオールスター戦で優勝した。
翌1998年5月、[[富士スピードウェイ]]で開催された全日本GT選手権JGTC 第2戦での事故で瀕死の重傷を負うが、その後の3年間の懸命の[[リハビリ]]により社会復帰した。([[太田哲也#悲劇の事故|詳細後述]])
 
事故から復帰までを綴った「クラッシュ」「リバース」(幻冬舎)がスポーツドキュメントとしては異例のベストセラーに。その後、高校生に向けた「生き方ナビ」、「世界でいちばん乗りたい車」「知識ゼロからの車選び」を執筆。
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事故は1998年5月3日、全日本GT選手権第2戦中、富士スピードウェイで起きた。天候は雨であった。決勝レース開始時の[[フォーメーションラップ]]において、[[ペースカー]]が先導して隊列を整えスタートするローリングスタートの一周目で、先導する[[ペースカー]]が最終コーナーから突然加速し、通常より速い約160km/hで走行したため隊列が整わなくなった。また路面状況が悪い為、二周周回させて路面をクリアにしようとした。また太田が寄稿していた自動車雑誌「Tipo」誌が特集を組んで事故原因を究明した際、事故後にそれぞれのクラスの上位チームからデータ提供の協力を受け提供されたマシンのデータロガーに記録されたデータを検証したところ、最終コーナーから異常な加速をしていたという事実が判明している。その結果レース車両が巻き上げた水幕により視界は「ほとんどゼロ」(自身の証言)という最悪の状況で、後方を走行するGT300クラスのマシン数台がレースのスタートと誤認し加速した。その後、状況を把握した数台が減速したところへ加速してきた更に後方のマシンが衝突、数台を巻き込む多重事故となった。
 
その中で、太田の前方を走っていた[[砂子塾長|砂子智彦]]の[[ポルシェ]]が前方の車輌に追突し、パーツを撒き散らしながら進行方向左側、コース外のエスケープゾーンに放り出され、右を向いた姿勢で停止する。追突したポルシェはピットロード出口付近のガードレールに衝突して停止した。その直後、突然視界が開けた際に急減速して来た前方の車両への追突を避ける為に同ゾーンへ逃げた太田の車輌(TFCJ[[フェラーリ・F355|フェラーリF355]]GT)F355GT)が衝突した。太田の証言では正面衝突を避ける為に、あえてスピンさせ、助手席側から衝突させ衝突のダメージを出来る限り回避させる行動を取ったという。スタート前のためガソリンが満載されていた太田の車輌は爆発・炎上。衝突の弾みによりコース脇のコンクリート壁に弾かれた後、スピンしながらホームストレートを跨ぎ、激しく炎上しながらピットロード出口から200m程先の地点で後ろ向きに停止した。爆発炎上の原因は、衝突の際にポルシェ、フェラーリ共々フロント側に設置されているガソリンタンクが押し潰され、噴出したガソリンが衝突時に生じた火花か何かに引火して爆発したものとみられている。
 
=== 事故後の対処 ===
 
事故直後、衝突相手であるポルシェの炎上は比較的小規模であり同車の砂子は自力で脱出して救急車で搬送された一方(全身打撲、右足の粉砕・開放骨折等で暫くレース活動を中止するほどの重傷だったが)で、太田は車内まで火が回り激しく炎上し続けるマシンの中に90秒近く取り残された。消火と救助を開始したのは、炎上する太田車の脇を通過した後に駆けつけた[[RE雨宮]]所属(当時)のドライバー[[山路慎一]]であった。その後現場に到着し、太田の搬送に用いられたのは救急車ではなく、富士スピードウェイの機材車(商業用バン)であった。そのあまりの対応の遅さとずさんさに激怒した山路はその場でレスキューカーのフェンダーに蹴りを入れている。
 
<!--独自研究ですか?実際の時間経過を見てみると、太田が乗ったフェラーリが炎に包まれた瞬間から、コースを横断して停止するまで19秒、山路がクルマを停めたのが23秒、山路が消火器を手にしたのが30秒、山路が消火を開始したのが46秒、ほぼ消火されたのが1分7秒、レスキューカー現場到着が1分10秒、太田の頭部が車外に出たのが1分24秒となっている。この値は、現場にオフィシャルが到着するのが遅れた事をしめしている。
-->
 
レスキューカーはフォーメーション・ラップ中、最後尾につけていたが、スローダウン車両がいたために到着が遅れた。また、コントロール・センター脇からは消火車、救急車、破壊工作車が出動し、このうち消火車、救急車は910ポルシェへ、破壊工作車がフェラーリへと向かったが、現場到着は1分53秒後となった。また、現場にいち早く駆けつけてしかるべきポストのオフィシャルの動きだが、1番ポストのオフィシャルは910ポルシェの現場へ行っており、風向きや視界の関係からもっとも状況を把握できているであろう2番ポストのオフィシャルは、初期段階では誰もフェラーリに向かっていなかった(1分40秒後到着)。さらに、現場に行くのにコースを横断する必要がなく、最も早く到着できそうだったピットロードのオフィシャルも、消火が終わってから到着した(丁度1分後到着)。
 
=== 批判 ===
 
出火から30秒で現場到着、消火、救出を済ませなければ、ドライバーの生命は非常に危険な状態におかれる。したがって、フェラーリが炎に包まれてから最初にオフィシャルが到着するまで1分10秒という時間は、もし山路が救援に駆けつけて消火活動を開始していなければ、太田の生命が危ぶまれる長さであると考えられる。また、多重クラッシュとはいえ、計3台うち2台炎上の事故でレスキュー体制が混乱したと言える。
 
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=== 全日本耐久選手権/全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権 ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%"
|-
! 年
! 所属チーム
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! JACSレーシングチーム
! [[マツダ・RX-7]]
! B
| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]
|bgcolor="#DFFFDF"| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]<br><small>6</small>
| [[富士スピードウェイ|FUJFSW]]
|
|
195 ⟶ 192行目:
! [[1985年の全日本耐久選手権|1985年]]
! グループハリハラ 織田 耕造
! [[マナティMk4・マツダ ]]
! B
| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
|bgcolor="#DFFFDF"| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]<br /><small>10</small>
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
|
!
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! [[ウエスト85S・マツダ]]
! A
| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
|bgcolor="#FFDF9F"| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]<br /><small>3</small>
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
|| [[富士スピードウェイ|FSW]]
|
!
225 ⟶ 222行目:
! [[タイガGC87・フォード]]
! C1
| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]
| bgcolor="#efcfff"| |[[富士スピードウェイ|FSW]]<br /><small>Ret</small>
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
|
! NC
236 ⟶ 233行目:
|-
! [[1989年の全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権|1989年]]
!rowspan="5" | [[マツダスピード]]
! [[マツダ・767]]
! GTP
|bgcolor="#DFDFDF"|[[富士スピードウェイ|FSW]]<br /><small>2</small>
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
|
|
249 ⟶ 246行目:
!
|-
!rowspan="2" | [[1990年の全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権|1990年]]
! [[マツダ・787]]
! GTP
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
| bgcolor="#EFCFFF"| |[[鈴鹿サーキット|SUZ]]<br /><small>Ret</small>
| [[スポーツランドSUGO|SUG]]
|
|
!rowspan="2" |
!rowspan="2" |
|-
! [[マツダ・767|マツダ・767B]]
272 ⟶ 269行目:
|
|-
!rowspan="2" | [[1991年の全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権|1991年]]
! [[マツダ・787]]
! GTP
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
|bgcolor="#DFDFDF"| [[富士スピードウェイ|FSW]]<br /><small>2</small>
| [[富士スピードウェイ|FSW]]<br /><small></small>
| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]<br /><small></small>
|
|
|
!rowspan="2" | 25位
!rowspan="2" | 8
|-
! [[マツダ・787|マツダ・787B]]
! GTP
|
291 ⟶ 288行目:
|
|
|bgcolor="#FFFFBF"| [[スポーツランドSUGO|SUG]]<br /><small>1</small>
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
| [[スポーツランドSUGO|SUG]]
|}
 
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!
! [[日産・スカイライン]]
! DIV.3
| [[MINEサーキット|NIS]]
| [[スポーツランドSUGO|SUG]]
| [[筑波サーキット|TSU]]
| [[仙台ハイランド|SEN]]
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
|bgcolor="#CFCFFF"| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]<br /><small>NC</small>
|
328 ⟶ 325行目:
!
|-
! [[1987年の全日本ツーリングカー選手権|1987年]]
!
! [[トヨタ・カローラFX]]
! DIV.1
|bgcolor="#CFCFFF"| [[MINEサーキット|NIS]]<br /><small>13</small>
|bgcolor="#DFDFDF"| [[仙台ハイランド|SEN]]<br /><small>2</small>
|bgcolor="#DFFFDF"| [[筑波サーキット|TSU]]<br /><small>4</small>
|bgcolor="#DFDFDF"| [[スポーツランドSUGO|SUG]]<br /><small>2</small>
|bgcolor="#EFCFFF"| [[富士スピードウェイ|FSW]]<br /><small>Ret</small>
|bgcolor="#DFFFDF"| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]<br /><small>4</small>
|
|
343 ⟶ 340行目:
!
|-
! [[1988年の全日本ツーリングカー選手権|1988年]]
!
! rowspan="5"| |[[BMW・M3]]
! JTC-2
| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]
| [[MINEサーキット|NIS]]
| [[仙台ハイランド|SEN]]
|bgcolor="#EFCFFF"| [[筑波サーキット|TSU]]<br /><small>Ret</small>
| [[スポーツランドSUGO|SUG]]
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
|
|
361 ⟶ 358行目:
!
! JTC-2
|bgcolor="#DFFFDF"| [[MINEサーキット|MIN]]<br /><small>4</small>
|bgcolor="#FFDF9F"| [[仙台ハイランド|SEN]]<br /><small>3</small>
|bgcolor="#DFDFDF"| [[筑波サーキット|TSU]]<br /><small>2</small>
|bgcolor="#EFCFFF"| [[スポーツランドSUGO|SUG]]<br /><small>Ret</small>
|bgcolor="#DFDFDF"| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]<br /><small>2</small>
|bgcolor="#DFFFDF"| [[富士スピードウェイ|FSW]]<br /><small>5</small>
|
|
372 ⟶ 369行目:
! 60
|-
! [[1990年の全日本ツーリングカー選手権|1990年]]
! Cara Racing
! JTC-2
| [[MINEサーキット|NIS]]
| [[スポーツランドSUGO|SUG]]
|bgcolor="#DFFFDF"| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]<br /><small>4</small>
|bgcolor="#EFCFFF"| [[筑波サーキット|TSU]]<br /><small>Ret</small>
|bgcolor="#FFDF9F"| [[仙台ハイランド|SEN]]<br /><small>3</small>
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
|
|
386 ⟶ 383行目:
!
|-
! [[1991年の全日本ツーリングカー選手権|1991年]]
! Team Noji
! JTC-2
| [[スポーツランドSUGO|SUG]]
| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]
| [[筑波サーキット|TSU]]
|bgcolor="#DFFFDF"| [[仙台ハイランド|SEN]]<br /><small>6</small>
| [[オートポリス|AUT]]
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
|
|
400 ⟶ 397行目:
!
|-
! [[1992年の全日本ツーリングカー選手権|1992年]]
! IPS wakoS
! JTC-2
|bgcolor="#EFCFFF"| ''[[岡山国際サーキット|TAI]]''<br /><small>Ret</small>
|bgcolor="#DFFFDF"| [[オートポリス|AUT]]<br><small>4</small>
|bgcolor="#DFFFDF"| [[スポーツランドSUGO|SUG]]<br /><small>4</small>
|bgcolor="#DFFFDF"| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]<br /><small>4</small>
| [[MINEサーキット|MIN]]
| [[筑波サーキット|TSU]]
| [[仙台ハイランド|SEN]]
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
! 15位
! 30
|}
 
=== 全日本GT選手権 ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%"
|-
! 年
! チーム
433 ⟶ 429行目:
|-
! [[1994年の全日本GT選手権|1994年]]
! rowspan="2" | [[タイサンインターナショナル|TEAM TAISAN]]
! rowspan="2" | [[フェラーリ・F40]]
! GT1
|bgcolor="#FFDF9F"| [[富士スピードウェイ|FSW]]<br /><small>3</small>
|bgcolor="#FFDF9F"| [[仙台ハイランド|SEN]]<br /><small>3</small>
|bgcolor="#DFDFDF"| [[富士スピードウェイ|FSW]]<br /><small>2</small>
|bgcolor="#EFCFFF"| '''[[スポーツランドSUGO|SUG]]'''<br /><small>Ret</small>
|bgcolor="#FFFFBF"| ''[[MINEサーキット|MIN]]''<br /><small>1</small>
|
|
448 ⟶ 444行目:
! [[1995年の全日本GT選手権|1995年]]
! GT1
|bgcolor="#EFCFFF"| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]<br /><small>Ret</small>
|bgcolor="#DFFFDF"| [[富士スピードウェイ|FSW]]<br /><small>9</small>
| [[仙台ハイランド|SEN]]
|bgcolor="#CFCFFF"| '''[[富士スピードウェイ|FSW]]'''<br /><small>18</small>
| [[スポーツランドSUGO|SUG]]
|bgcolor="#CFCFFF"| [[MINEサーキット|MIN]]<br /><small>12</small>
|
! 27位
462 ⟶ 458行目:
! [[ポルシェ・911]]
! GT500
|bgcolor="#CFCFFF"| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]<br /><small>13</small>
|bgcolor="#CFCFFF"| [[富士スピードウェイ|FSW]]<br /><small>14</small>
|bgcolor="#DFFFDF"| [[仙台ハイランド|SEN]]<br /><small>10</small>
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
|bgcolor="#EFCFFF"| [[スポーツランドSUGO|SUG]]<br /><small>Ret</small>
|bgcolor="#CFCFFF"| [[MINEサーキット|MIN]]<br /><small>12</small>
|
! 26位
473 ⟶ 469行目:
|-
! [[1997年の全日本GT選手権|1997年]]
! rowspan="2" | [[TEAM FERRARI CULB of JAPAN]]
! rowspan="2" | [[フェラーリ・F355]]
! GT300
|bgcolor="#CFCFFF"| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]<br /><small>11</small>
|bgcolor="#DFFFDF"| [[富士スピードウェイ|FSW]]<br /><small>4</small>
|bgcolor="#DFFFDF"| [[仙台ハイランド|SEN]]<br /><small>9</small>
|bgcolor="#DFDFDF"| [[富士スピードウェイ|FSW]]<br /><small>2</small>
|bgcolor="#DFFFDF"| [[MINEサーキット|MIN]]<br /><small>7</small>
|bgcolor="#EFCFFF"| [[スポーツランドSUGO|SUG]]<br /><small>Ret</small>
|
! 7位
488 ⟶ 484行目:
! [[1998年の全日本GT選手権|1998年]]
! GT300
|bgcolor="#EFCFFF"| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]<br /><small>Ret</small>
|bgcolor="#FFFFFF"| [[富士スピードウェイ|FSW]]<br /><small>C</small>
| [[仙台ハイランド|SEN]]
| [[富士スピードウェイ|FSW]]
| [[ツインリンクもてぎ|TRM]]
| [[MINEサーキット|MIN]]
| [[スポーツランドSUGO|SUG]]
! NC
! 0
520 ⟶ 516行目:
|-
! [[1995年のル・マン24時間レース|1995年]]
|rowspan="2" align="left"| {{flagicon|ITA}} [[エネアSRL・イゴル]]
|align="left"| {{flagicon|SWE}} [[アンデルス・オロフソン]]<br />{{flagicon|GBR}} [[ルキアーノ・デラ=ノース]]
|rowspan="2" align="left"| [[フェラーリ・F40|フェラーリ・F40 GTE]]
| GT1
| 42
529 ⟶ 525行目:
|-
! [[1996年のル・マン24時間レース|1996年]]
|align="left"| {{flagicon|GBR}} [[ロビン・ドノヴァン]]<br />{{flagicon|ITA}} [[ネアSRLイゴルナッピ]]
|align="left"| {{flagicon|GBR}} [[ ロビン・ドノヴァン]]<br />{{flagicon|ITA}} [[ピエロ・ナッピ]]
|align="left"| [[フェラーリ・F40|フェラーリ・F40 GTE]]
| GT1
| 129