「邪馬台国九州説」の版間の差分

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=== 筑紫平野 ===
古くから支持されており、人口が多く「ヤマト」の地名に関係しそうな[[山本郡 (福岡県)|山本郡]]や[[御井郡]]域である[[久留米]]説を始め、[[平塚川添遺跡]]の[[甘木]]・[[朝倉]]説、八女津媛伝説のある[[八女]]説、[[吉野ケ里遺跡]]もこれに含まれる。卑弥呼朝倉地方を中心とした北九州地方地名と大和地方を中心としては、[[宝賀寿男]]により[[久留米市]]た畿内の地名驚くほどの酷似がる[[祇園山古墳]]り、発音有力んど一致してい意見がだけでなく相対的な位置関係もほとんど同じである<ref>{{Sfncite web|宝賀url=http://yamatai.cside.com/tousennsetu/yasumotosetu3.htm|2001publisher=邪馬台国の会|pptitle=62邪馬台国東遷説 第三章 神話のなかの地名|accessdate=2011-11-9512}}</ref>
卑弥呼の冢としては、[[宝賀寿男]]により[[久留米市]]にある[[祇園山古墳]]が有力とする意見がある{{Sfn|宝賀|2001|pp=62-95}}。
 
=== 福岡平野 ===
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=== 阿蘇カルデラ ===
*[[阿蘇山]] を擁し 、[[火国]]([[建日向日豊久士比泥別]])一の宮[[阿蘇神社]]がある。[[崇神天皇]]の御代から[[神武天皇]]の子孫の[[多氏]]系である[[阿蘇氏]]([[阿蘇国造]])が[[祭祀]]を執り行い続けている<ref>短里説で[[帯方郡]]から一万二千余里となる。[[石原洋三郎]]によれば、『[[南史倭国伝]] <ref group=注釈>精選版 日本国語大辞典によれば、「南朝北朝の歴史がそれぞれ自国中心であるのを是正し、双方を対照し、条理を整えて編集している。」、世界大百科辞典 第2版によれば、「南朝北朝のそれぞれの正史よりもひろく読まれた。」とある。</ref>』に、「倭国の先祖の出た場所、及び所在については北史に詳しく記述されている」とあり、『[[北史倭国伝]]』 <ref group=注釈>小学館大辞泉によれば、「公正・詳密な記述で史料的価値が高い。」、精選版 日本国語大辞典によれば、「詳密な記述で史料価値が高い。」とある。 また、[[石原道博]]編訳の『魏志倭人伝』p17([[岩波文庫]])において、『隋書』は『魏志』・『魏略』・『後漢書』・『宋書』・『梁書』を参考にしながら、「総合的に記述」されており、『北史』は『隋書』・『梁書』によっているとのことで、「その記述内容はおたがいに密接な関係を持っていることが特徴」と説明されている。</ref>では、[[阿蘇山]]が詳述<ref >北史『有阿蘇山、其石無故火起接天者、俗以為異、因行禱祭。有如意寶珠、其色青、大如雞卵、夜則有光、云魚眼精也。新羅、百濟皆以倭為大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來。』</ref>されている<ref >[https://www.worldcat.org/identities/viaf-311157100642772740008/ 邪馬台国]』 [[石原洋三郎]] 令和元年十月 第一印刷 p43-50</ref>とのことである
21世紀になってから、福島県の地方政治家が自費出版の本で唱えた説。
*[[阿蘇山]] を擁し 、[[火国]]([[建日向日豊久士比泥別]])一の宮[[阿蘇神社]]がある。[[崇神天皇]]の御代から[[神武天皇]]の子孫の[[多氏]]系である[[阿蘇氏]]([[阿蘇国造]])が[[祭祀]]を執り行い続けている<ref>短里説で[[帯方郡]]から一万二千余里となる。[[石原洋三郎]]によれば、『[[南史倭国伝]]』に、「倭国の先祖の出た場所、及び所在については北史に詳しく記述されている」とあり、『[[北史倭国伝]]』 では、[[阿蘇山]]が詳述(北史『有阿蘇山、其石無故火起接天者、俗以為異、因行禱祭。有如意寶珠、其色青、大如雞卵、夜則有光、云魚眼精也。新羅、百濟皆以倭為大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來。』)されている。『邪馬台国』 [[石原洋三郎]] 令和元年十月 第一印刷 p43-50</ref>。
 
== 東遷説 ==