「ホレィシォ・ネルソン・ジャクソン」の版間の差分

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==賭け、旅の準備==
 
ジャクソンは31歳。自動車はまだ所有していなかったがすでに心は囚われていた。当時一般にはまだ『単なる流行で金持ちの道楽』と思われていた自動車だったが、ジャクソンはそうは思っていなかった。1903年5月18日、ジャクソンはサンフランシスコ大学のクラブにゲストとして招かれていた。そこで彼は自動車が国を横断できるかどうか50ドル(現在の約1000ドル、約十数万円)で賭けをする。彼は車を持っていなかったし、十分な自動車の運転の経験もなかった。たどるべき地図ももちろんなかった。バーリントンの家へは数日後に帰る予定だったのだが、ジャクソンはその賭けにのった。ジャクソンとバーサは二人共、このサンフランシスコ滞在中に運転の教習を受けていたところだった。ジャクソンが自動車での冒険に挑むことになったためバーサは列車で家に帰ることにした。
 
ジャクソンは、同行のメカニック兼ドライバーを探した。まだ若い22歳のセワール・クロッカー(Sewall K. Crocker)を説得し旅の供とする。クロッカーは『[[ウィントン・モーター・キャリッジ・カンパニー]]』の車を使うことを提案。ジャクソンは、かなり使い込まれたウィントンの中古を購入し、ホームタウンの名『バーモント』と名付ける。『バーモント』は20馬力2気筒エンジンを載せた2人乗りツーリングカーだった。最高時速30マイル(48キロ)。そして、オープンカーである。屋根はない。風防もない。もちろんサイドウインドウも。
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