「近藤貞雄」の版間の差分

 
また、監督就任時には[[高木守道|髙木守道]]に「君はいいコーチになれるよ」と言い、引退するように仕向けて実現させており、星野と同年に[[木俣達彦]]も引退させている。1982年5月23日の大洋戦9回裏、9対6で3点リードの場面で鈴木孝政が長崎啓二にサヨナラ満塁本塁打を打たれたが、バッテリーを組んでいた木俣は、近藤にリードに問題ありと断罪され、翌日、2年目の[[中尾孝義]]にマスクを譲り代打に専念にするよう告げられる<ref name="ザ・捕手 〜私が出会った監督・選手たち" />。近藤が起用した中尾は同年MVPを獲得している。代わって投は小松辰雄や牛島ら、打は平野謙らを登用している。投打共に球団のスター選手を引退させ、世代交代を進める役回りを果たしたと言える。
 
平野謙は前任監督の中利夫が作った整理リスト(クビ要因)に入っていたが、近藤が一人ずつチェックし、そこでコーチが「平野は足はまずまず、外野の守備は全くダメです。」と報告、近藤は「だったら守備固めで使えるかもしれないから一年間、残してみよう」と残留になり、平野は「近藤さんじゃなきゃクビでしたね。それは間違いない。しかも、その後、使ってくれましたからね。いくら感謝してもしきれない。プロ野球選手・平野謙の生みの親と言ってもいいでしょう。いわゆる古き良き野球人で、門限を破っても何をしてもいいけど、ユニフォーム着たら責任を持てよ。という感じでした。まさに僕にぴったしな監督でした。」<ref>[[週刊ベースボール]]2020年6月15日号、平野謙の人生山あり谷あり、感謝あり、第5回、僕の生みの親?、近藤貞雄監督、62頁</ref>と述べている。
 
チームが勝てば何だっていいというような無責任な考えの応援を快く思っておらず「'''彼らは野球を見に来ているのではない。こういうのは野球ファンとは呼べない'''」と嘆いていた{{要出典|date=2011年2月}}。また、[[長嶋茂雄]]に対しては、前向きな姿勢が立派であると評価していたものの、監督としての能力を心配している部分もあった。そこで近藤は、[[野村克也]]を参謀にして、長嶋とタッグを組んだらよいのではないかという考えを著書にて提唱していた<ref>『退場がこわくて野球ができるか』より</ref>。