「倭姫命」の版間の差分

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倭姫命に関して、[[宮内庁]]による[[陵墓|治定墓]]はない。ただし、[[三重県]][[伊勢市]]倭町にある宮内庁の'''宇治山田陵墓参考地'''(うじやまだりょうぼさんこうち、{{ウィキ座標|34|29|15.47|N|136|43|15.22|E|region:JP-24_type:landmark|位置|name=宇治山田陵墓参考地(尾部古墳、倭姫命伝承地)}})では、倭姫命が被葬候補者に想定されている。遺跡名は「尾部古墳」で、[[方墳]]である。通称は「尾上御陵」・「倭姫命御陵」。
 
この尾部古墳は、伊勢神宮の内宮([[皇大神宮]])と[[豊受大神宮|外宮(豊受大神宮)]]との中間に位置する間の山(あいのやま)に位置する。

[[永保]]2年([[1082年]])の書写奥書のある『高庫蔵等秘抄』にはすでに尾部の御陵の記事が見られ、[[江戸時代]]初期の『神風小名寄』・『太神宮神道或問』などでは倭姫御陵として見える<ref name="尾部古墳">「尾部古墳」『日本歴史地名大系 24 三重県の地名』平凡社、1983年。</ref>。

また『尾部御陵起源』によれば[[明治]]年間に発掘されて銅環・鈴・[[須恵器]]などが出土したというほか、[[1921年]]([[大正]]10年)の実測図によれば墳丘は方形で[[横穴式石室]]が南方向に開口した(現在は非開口)。

その後、[[1928年]]([[昭和]]3年)[[10月]]に[[宮内省]]により[[陵墓参考地]]に治定され、現在は宮内庁により管理されている<ref name="尾部古墳"/>。
 
なお、隣接する倉田山では[[1922年]](大正11年)に内宮別宮の[[倭姫宮]]が創建され、倭姫命が祀られている。